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第87話

 そして、最も驚いたのはそのロビーを一面に覆っているパノラマのガラス窓から見下ろす景色だった。  見下ろす――といっても、よくよく考えてみればここは地上ではなく、地下にあたるはずである。先程、鐘崎の自室から地下へと続く階段を降りて来たのだから間違いないだろう。だが、窓一面に広がっていたのは明らかに高層ビルから望むような見事な景色――しかもそれは見紛うことなき香港の摩天楼だったのだ。  こう言っては何だが、この鐘崎の住んでいるマンションは外観だけ見れば至って平凡という印象しか受けないというのが実のところだ。特に目立つほど洒落た建物というわけでもなく、どちらかといえば街並みに溶け込んでしまって、気に留めるような造りではなかった。だが一歩中に入れば外の印象を裏切る豪華さで、その上シックで落ち着いた重厚感のある部屋だと驚かされたものの、まさかこんな目を疑うような地下室があるだなどとは想像も付かなかった。  窓の景色を見つめながら唖然としてしまっている紫月に、鐘崎は愛しげな視線を向けると、やわらかに微笑んだ。 「これは単なる立体映像だ。香港の実家と造りをそっくりにしてあるんだ」 「立体映像!? そっくりって……」  ということは、香港にある鐘崎の実家もこんなに豪華な大邸宅ということになるのだろうか。それこそおとぎの世界にでも迷い込んでしまったような顔付きで、ポカンと佇んだまま会話も忘れてしまいそうだ。 「こんにちは、一之宮さん。その後、お怪我の具合は如何ですか?」  その言葉でようやくと我に返ってみれば、そこには先日世話になった鐘崎の同居人の男が穏やかな物腰しで佇んでいた。 「あ……! お邪魔してます」  紫月は咄嗟にペコリと頭を下げながら、 「この前はどうも……いろいろご迷惑お掛けして……その、すみませんでした! お世話になりましてありがとうございました」  丁寧な言葉使いは慣れないのか、懸命な感じのその様子に、男の方は更に瞳を細めて微笑む。 「いいえ、こちらこそですよ。つい先日、お父上様がご挨拶にいらしてくださいましてね。かえってご丁寧にしていただいてしまい恐縮です」 「え? 親父が来たんですか?」 「はい。どうぞよろしくお伝えください」 「あ、はい……どうも」  まさか父親が鐘崎の家に挨拶に来ていたなどとは全く聞いていなかったので、酷く驚かされてしまった。まあ、父は普段、道場の稽古で忙しくしているし、顔を合わせるといえば朝晩の飯時くらいだ。その上、互いにおしゃべりな方でもないので、知らなくて当然といえばそうなのだが、それにしても自身の怪我のことで世話になった鐘崎の同居人に挨拶に行ったことくらい話してくれてもいいものを、と紫月は少々頬を膨らませる心持ちだった。  そんな思いが表情に出ていたのか、隣に立つ鐘崎が紫月の様子を窺いながら、またひとたび可笑しそうに笑う。

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