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第90話

 目の前の見事な程の摩天楼の景色も霞んでいく。  今は隣にいて、手を伸ばせばすぐにも温かい掌に触れられて、その温もりを確かめることができる鐘崎を、この摩天楼の景色が連れて行ってしまうようで心が震え出す。 「そっか……そうだよな……やっぱ帰っちゃうんだよ……な」 「紫月……?」 「あ、うん……いや、何でもねえ」  視線を泳がせ、声が震えてしまうのをとめられない。 「ほんとに……何でもねえか……ら」  ヘンに思われまいとしているわけか、あるいは心配をかけまいという意味なのか、無理に作った笑顔の中にとてつもなく不安げな表情を隠せないでいる紫月の様子に、鐘崎はまるで抱き締めるかのように彼を腕の中へと引き寄せた。 「紫月――俺が香港に帰ったら嫌……か?」  すっぽりと腕の中に抱き包み、利き腕の方で髪を撫でながら低い声がそう訊いた。 「そりゃ……」  せっかく知り合えたのに残念だとは思う。自分だけじゃなく、剛や京だって同じ気持ちだろう――そう言おうと思って、言葉をとめた。  違う――  そんなことを言いたいんじゃない。  本当に言いたいのは――俺が本当に望んでいるのは……!  そう、帰ってなんか欲しくない。離れたくはない。  別段、離れたとして、二度と会えないというわけじゃない。だが、おいそれとは会えない距離がものすごく高い壁に思えてならないのは確かな事実だ。  抱き締められた彼の懐の中で顔を埋め、その胸板にしがみ付きながら唇を噛み締め、紫月が放ったのは心のままの素直な気持ちだった。 「……嫌だよ。帰るなよ……」 「紫月?」 「嫌だ……ンなの、ぜってー……」  嫌だ――――!  心の中でそう叫んだと同時に、大きな掌に両の頬をガッシリと包み込まれて、逸ったように唇を奪われた。  左、右と、顔を交互に何度もついばむような口付けをされた後、 「紫月――俺のところに嫁いで来るか?」 「――――!?」 「それとも俺がお前んところに婿に行くか」 「何……言って……鐘っ……」  訊き返す言葉をも呑み込むように、更に熱く激しく唇を重ねられ、息も出来ない程の長いキスに包まれた。 「鐘ッ……崎……」 「場所なんて何処でもいいんだ。香港だろうが川崎だろうが、神界だろうが魔界だろうが……嫁だの婿だの結婚だの恋人だの、形なんてどうでもいい」 「鐘……っ……ッ!」 「お前と一緒にいられさえすればそれでいい。俺はお前を……放さない、お前の傍を離れる気もない――」  激しいキスの合間に唇を触れ合わせたまま、射るように熱い視線を一瞬たりとも動かさないままで鐘崎はそう言った。 「紫月――好きだ」 「鐘……崎……」 「抱きたい――今すぐ」

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