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第95話 許嫁
その頃、邸へと戻った源さんこと、『東堂源次郎 』と鐘崎の二人も、紫月たちに振る舞った点心の残りで遅めの食卓を囲んでいた。
「ところで遼二さん、実は今日、香港の親御さん方からご連絡がありまして。ちょっと厄介な話があるんですが……」
少々深刻そうな面持ちで、源次郎が切り出した。
「厄介な話?」
「ええ。何でも遼二さんとはご同級だという、あちらではホテル王と言われている『范』氏のご令嬢のことで」
「ああ……美友 のことか」
「ええ、その美友さんなんですが……」
范 美友 というのは、鐘崎が香港に住んでいた頃に同級生だった女性だ。鐘崎を引き取った育ての両親が懇意にしていたのが、范 将雲 という地元では名のあるホテルの経営者だ。美友はそこの一人娘で、幼い頃から度々家族ぐるみで行き来をしていた、いわば幼馴染みともいうべき間柄である。有名なホテルチェーンを経営する家柄であり、本人の容姿が美しいことも手伝ってか、少々高飛車なところのある性質の娘だった。
そんな美友だが、どうやら鐘崎に好意を抱いていたらしく、彼の前でだけはしおらしく、優しい女性を装うようなところもあった。いわゆる『相手によって態度を変える』という、我が儘娘の典型のような女性だと記憶している。香港にいた頃は随分と懐かれていたというか、悪い言い方をすれば、付きまとわれていた感が無くもない。源次郎の言うには、その美友が創立記念日の連休を利用して来日するというのだ。
「御父上からのお話では明後日のフライトで来られるようで、都内のホテルに二泊のご予定だとか。美友さんのご希望としては、この邸へ遼二さんをお訪ねになられたいとのことなんですが……どうしたものかと」
なるほど、厄介な話である。食後酒を口にしながら、鐘崎は少々難しそうな表情で眉をしかめた。
「ここへ押し掛けられても困るな……。あまり気は進まないが、俺が都内のホテルとやらに出向くしかねえか」
「まあ、それが一番無難だとは思うんですが……」
「わざわざ香港から出掛けてくるってのに、まるっきり無視すれば角が立つだろうしな……。メシか茶くらいは一緒にしなきゃならねえか。親父と范大人 との付き合いもあるし、後々面倒なことになるのは避けてえし……」
軽く溜息を付きながら、
「会うのはホテルのロビーラウンジかレストランでいいだろう。源さん、ご足労掛けちまって済まないが、一緒に付き合ってくれるか?」
「勿論です。私の他にも二~三人ほど手伝いの男衆を手配します。ご令嬢の接待の方は手落ちの無いように致しますのでご安心ください」
親しげながらもそう言って丁寧に頭を下げる様子は、鐘崎の世話人というよりは、まるで主に従える側近か、ともすれば執事のような雰囲気である。鐘崎から見れば年齢もかなり上の源次郎だが、彼らの間ではそれが普通のやり取りなのか、格別の違和感もなく、鐘崎は目の前の男を労うかのように頷いて見せた。
「手を煩わせて済まないが、よろしく頼むぜ源さん」
「承知致しました」
◇ ◇ ◇
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