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第106話
「ちょっ……氷川、てめえ! 待て、この野郎!」
「紫月をどうしようってんだ!」
慌てて追い掛けて来る剛らの声を背に、待たせてあった車に紫月を放り込み、氷川は一目散といった調子でそれに乗り込んだ。
「出せ! すぐにだ!」
ドアが閉まると同時に車が急発進する。
「ちょッ……! 待て氷川ッ!」
懸命に叫ぶも、狭い裏路地に巻き上がった土煙で視界もままならない。情けないが、手出しひとつできなかった。残された剛と京の眼前には、タイヤのクラッシュ音と、きな臭い焦げたようなニオイが焦燥感だけを煽 ってくる。
「……クソッ、まさか車で来てるって……そんなん有りかよ!? ナンバー見たか?」
「ああ、覚えやすい番号で助かったぜ! 七七七、スリーセブンだった」
「あれ、ベンツだったろ? 氷川んちの車か?」
「運転手付きだったみてえだし、そうなんじゃね?」
貿易会社の御曹司だというのだから、そのくらいは当然か――追い掛けようにも、こんな裏通りの細い一本道ではタクシーも捕まえられないだろう。ともかく、氷川が自宅の車らしきもので去って行ったことから、行き先を割り出すのは案外容易かも知れないと思えた。最悪は彼の家に押し掛けて、親もろとも巻き込んで騒ぎ立てれば、紫月はすぐにも解放されることだろう。そう踏んだ剛と京は、先ずは工場内で捕まっている茂木と川田の二人から詳しい事情を聴くことにした。
一時間後――
剛と京の二人は駅前の派出所へと向かっていた。紫月のもとへ応援を頼みに来たクラスメイトの連中同様、茂木と川田の二人からも大した情報は得られなかった。単に下校途中に氷川に声を掛けられて、例の廃工場へ連れて行かれただけというようだ。やはり目的は紫月のみということなのだろうか、剛と京は一先ず茂木らを救出すると、早々に紫月の行方捜しに向かった。
とりあえずどうすればいいのだろう。氷川が運転手付きの車で来ていたことを考えると、紫月を拉致して自宅へと帰った可能性が高い。しかし氷川の自宅というのを知らないことに気付いた剛らは、手にしていたスマートフォンで『氷川貿易』を検索すれども、さすがに自宅の場所など載っているわけもない。まだ十分に下校の時間帯でもあったので、桃稜生を捕まえて訊くことはできるが、それこそいらぬ小競り合いにでもなったりしたら災難が増えるだけだ。紫月を助けるどころの話ではなくなる。
困った二人は、剛の従兄が勤務している派出所に相談に行くことにした。
さすがに警察沙汰にするまでのことかとの躊躇はあったが、紫月が車で拉致されたというのは確かな事実だ。通報するというよりは、剛の従兄に話を聞いてもらうという形ならと思い、二人は派出所へと急いだ。
ところが、着いてみればまたしても当が外れてしまう。
「清水巡査なら、今は出張交番で出掛けてるよ」
交番勤務の警察官にそう言われてしまい、ガッカリと肩の落ちる思いに陥った。と同時に、さすがにあまり悠長にしていていいものではないと焦りが募る。
「そうだ! 遼二に相談してみっか」
「遼二か……。けどあいつ、今日は家の用事で東京へ出掛けるとか言ってなかったっけ?」
「まあそうだが……緊急事態だしな。知らせないでおく理由もねえだろ」
八方塞りの二人は、とにかく鐘崎の携帯へと連絡を入れてみることにした。
◇ ◇ ◇
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