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第112話 拉致

「すまなかったな、源さん――」  駐車場へと向かう道すがら、ほうっと深い溜息をつきながら鐘崎は言った。  あの後、感情のコントロールがつかない美友を抱えるようにしながら、お付きの者たちが彼女を部屋へと連れ帰るのを見送った。あの様子では、当初の予定通りにディナーを共にするなど不可能なことだ。付添人らもそうわきまえたようで、とにかくは彼女の気持ちが落ち着く頃を見計らって、内々だけでディナーを取ってもらうようにと頼み、鐘崎と源次郎らは帰ることにしたのだった。  往路は専属の運転手だったが、帰りはその男にも他の同行人らと一緒の後続車に乗ってもらうことにして、気を利かせた源次郎が自ら鐘崎の乗る車の運転を買って出た。二人きりの方が話しやすかろうし、話すことで少しでも彼の気休めになるかと思っての配慮だった。 「ご令嬢がお声を荒げてらしたので、少しだけお話の内容が聞こえてしまったのですが……」  源次郎も香港暮らしが長いので、広東語には不自由しない。金切声で彼女が鐘崎を(なじ)り出してからの会話は大方分かる。尤も、他の客たちにはほぼ内容は伝わっていなかっただろうか――あの場に広東語に馴染んだ客がいなかったことを願うだけだ。 「俺もまだまだだな……」 「……どのようなお話向きだったのです? ご令嬢は相当興奮なされていらしたようですが」  バックミラー越しにこちらに視線をやりながら源次郎がそう訊いてくる。 「――俺には心に決めたヤツがいるってことを……添い遂げるならそいつとしか考えられねえっていうことをハッキリ云った」 「そうでしたか。それは……ご令嬢も少なからずショックだったのでしょうね」 「ああ……。もっと他に言い方があったのかも知れねえが、俺にはあれしか思いつかなかった。まあ、親父ならもっと上手くやっただろうな。こんなことが親父の耳に入ったら、『女の一人もあしらえないようじゃ、まだまだ半人前だ』くらいは言われそうだぜ」  窓の景色を視線で追いながら鐘崎は苦笑し、そしてこう続けた。 「けどよ、源さん――俺、嘘は付きたくねんだ。別段、美友に本当のことを告げなくても良かったのかも知れないとも思う。あいつの気持ちに気付かないふりを続けながら、うやむやにしている内に時が経って、その内あいつにも他に好きな男ができて――そうすりゃあいつの気持ちを踏みにじることも傷付けることもなく、お互いに気持ちよく別々の人生を歩めたのかも知れねえって、そうも思うんだけどな……」  独白のようにポツリポツリと語る彼の言葉に源次郎は黙って耳を傾けていた。 「けど俺はそういうの嫌だったんだ。それに……本当に好いたヤツに対して不実みてえなことはしたくねえんだ。一番大事なヤツには一番大事だって、何隠すことなく堂々とそう告げ続けたい。こんな俺って、やっぱり我が儘なのか?」 「……遼二さん」

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