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第142話 不可思議な誘い
鐘崎遼二が永い間の夢を叶えて四天学園に転入し、運命の相手といえる一之宮紫月との会遇を果たして以来、紆余曲折、幸せなことばかりではなかったが、二人は互いに惚れ合って、絆を深めることが叶った。
一方、鐘崎と紫月が甘い幸せに浸っている同じ頃――桃陵学園の氷川の方は、二週間の停学を食らって自宅謹慎中であった。
紫月を拉致し、茂木や川田のことも拘束して軽い暴力を振るったにも係わらず、二週間という停学の期間が妥当であるかは少々首を傾げさせられるところである。が、今回の沙汰は、氷川が茂木と川田を呼び出して拘束したという行為に対してのみ下されたもので、紫月を車で自宅へと連れ帰り、いかがわしい行為に及ばんとしたことまでは含まれていなかったのである。何故なら、裏から手を回してそうさせたのは、他ならぬ鐘崎だったからだ。
よくよく考えてみればそれこそ首を傾げさせられるような不可思議な話である。二度も紫月にとんでもないことをしでかした氷川に対して、鐘崎が一番腹に据えかねているのは事実であろうし、当然恨みにも思っているはずである。ならば、もっと重い沙汰を下したいのは山々なところであろうが、鐘崎にしてみれば今ここで氷川に重い罰を科せるよりも、紫月が陵辱まがいのことをされたという噂話が出回るのを防ぐことの方が重要だった。
苦水をすする思いを呑み込んでまで、紫月が好奇の目に晒されることは避けたかったというのが鐘崎の気持ちであった。
実に、少し前に起きたパブの跡地での暴行事件の時も、同じようにして裏から手を回し、氷川に何の咎めもいかないように計らったのは、他ならぬこの鐘崎であった。
今回は未遂で済んだが、あの時は実際に氷川から陵辱行為を受けた紫月を、どんな手を使ってでも守り抜くことが先決である――というのが鐘崎の考えだった。
氷川を警察に突き出すことや、停学もしくは退学に追い込むことも無論可能だったが、そうすれば紫月が陵辱されたという事実も否応なく明るみに出てしまう。被害者でありながら紫月が好奇の対象にされることだけは何としても避けたかった鐘崎は、苦渋の決断で氷川を野放しにする方を選んだというわけだった。
まあ、香港の裏社会にどっぷりと身を置きながら育った鐘崎にしてみれば、焦って氷川を罪に問わずとも、その気になればいつでもどんな仕打ちでも可能である。氷川が終業後、社会に出てから灸を据えることも出来るわけだから、今ここで騒ぎを大きくする必要はない――と考えた故のことだったのだろうか。と同時に、紫月の負った心の傷は、自身の深い愛情で必ず癒してみせるという鐘崎の自信の表れでもあったかも知れない。
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