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第155話

「は……はは。ま、まあ……惚れた何のってのは冗談だっつの! ま、てめえが何でこんなことを俺に頼みてえのか――その理由は訊かねえことにしとくよ。それよか、ヤるんならサッサとおっ始めようぜ」  若干引きつる表情を、わざとおどけることで隠しつつも、氷川は目一杯の道化を気取りながらそう言って笑った。  そしてジャケットを脱いでベッドの対面に設えられたソファの上へと放る。 「てめえも早く脱げって」  落ち込む気分を盛り上げんとばかりに明るさを装って笑う。  冰はそんな氷川の様子を横目にしながら、切なげに瞳をしかめてみせた。そしてひと言、独白のようにポツリと呟かれた言葉が、氷川の道化を瞬時に突き崩してしまった。そう、跡形もないほどに衝撃的な言葉で――。 「アンタに……惚れるわけにはいかねんだ……」 「――あ?」 「だってよ……俺、これから知らねえオヤジの愛人になるんだぜ? なのに……本気で惚れちまったりしたら……辛えじゃん……」  表情には微笑みを浮かべつつも、哀しげに伏し目がちの瞼を揺らしてそんなことを口走った。  ドクン――と、大きく心臓が跳ねては、もぎ取られるようだった。  表現しようのない切なさを笑みに代えてそんなことを口走った冰を、氷川は無意識の内に懐へと抱き包んでいた。 「バカか、てめえは……!」 「……ん、ごめん」 「なあ、おい――聞けよ」 「――ん?」  冰は抱き包まれた腕を振り払おうともせずに、素直に氷川の懐の中で顔を埋めたまま、相槌を返すだけだ。その様は、まるでこれが自由でいられる最後の瞬間とでもいうように儚げだった。 「冰――っつったっけ、お前?」 「ああ……」 「聞けよ、冰――! 俺は……てめえの恋人を……どこの誰とも知らねえエロオヤジに差し出してやるほど腑抜けじゃねえつもりだぜ」 「――え?」 「惚れろよ、俺に――」 「――!?」 「なろうぜ、本当の恋人に……! マジで俺らが付き合っちまえば、お前は正真正銘俺のもんってことになる。事情がどうあれ、誰がてめえの大事なヤツを愛人になんかさせるかよ――!」 「……あの、アンタ……でも……」 「でももクソもあるか!」  かなり大胆なことを言ってしまった手前か、瞬時に熱を持ちそうな頬の色を隠そうと、氷川は慌てたように話をはぐらかした。そして、目の前の色白の頬に手を伸ばし、顎先を掴んで顔を近付け――クイと斜めに首を傾げながら唇を重ねようとしたその瞬間だった。 「――ッ!」  思わず胸板を押し返されて、氷川は動きを止めた。  見れば瞳をギュッと瞑ったまま、小刻みに肩を震わせ顔を赤らめている彼の表情があって、首を傾げさせられる。 「――どしたよ。やっぱ俺じゃお前の相手にゃふさわしくねえか?」  押し返された距離を縮めることもできないままで、氷川はそう訊いた。

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