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第156話

「違……ッ! ンなことねえ! ふさわしくねえとか、嫌とか……そういうんじゃねんだ……! ただ……」 「ただ――何だよ?」 「いや、その……俺……ただ、こ……ゆの、慣れてなくてだな……その……」 「……?」 「……ごめん。今はちょっと緊張しちまって……すまない。今度はちゃんとすっから……!」  懸命といったふうにそう訴えてくる様子に、氷川は半ば唖然としながらも片眉をしかめさせられてしまった。 「もしかして――てめ、キスも初めてってか?」  まるで初な中学生のような反応をする様子に苦笑しながらそう問う。すると、目の前の冰はこちらが驚くくらいに真っ赤に頬を染めて、恥ずかしそうにソッポを向きながらこう言った。 「わ……悪りィかよ……!」  横向きに反らした頬が熟れて落ちそうなくらい朱に染まっている。モジモジと頼りなさげに肩を震わせ、艶のある黒髪までをもフルフルと揺らしている。  そんな様子に氷川は今一度片眉を吊り上げながら、 「お前……そんなんでホントにできるのかよ……」  大きな溜め息まじりで訊きつつも、次の瞬間には先程ソファへと放り投げた上着を手に取ると、 「行くぞ――」そう言って、『付いてこい』というようにクイと顎先を振ってみせた。  驚いたのは冰だ。 「……行くって……何処へ……?」 「デート!」 「デ……ート……?」 「そ! デートだ。先ずはデート! お前、その色情オヤジの愛人にされるのって、今日明日ってわけじゃねんだろ?」 「え!? あ、ああ……。その人は……今月いっぱいは海外の支社に出張だとかで……来月初めに帰国したらすぐにもって言われてる」 「ふぅん? だったらあと半月もあるじゃねえの。そんだけありゃ十分だ」  若干楽しそうに鼻を鳴らす氷川を不思議そうに見上げながらも、冰は首を傾げていた。 「十分って……何が……だよ?」 「俺らが知り合う為の時間が!」 「……知り合う為の……時間……?」 「考えてみりゃ、お互いのことよく知らねえまんまで、いきなりヤるってのも味気ねえわな。それに――てめえはキスも初めての晩熟野郎みてえだし」 「晩熟……って!」 「初めてのキスくれえ……その、何だ。いい思い出のあるもんにしてやりてえってだけだよ」  照れを隠さんと、わざとニヒルに笑いながらもサラリと飛び出した気障な台詞に、冰は滅法驚かされてしまった。一見、自由奔放で強引そうなこの氷川から、こんな繊細な心遣いのこもった提案を聞かされるとは思いも寄らなかったのだ。

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