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第160話

 それからほどなくして仲居が現れたと思ったら、見事な刺身の舟盛りが運ばれてきて驚かされた。何故なら先程オーダーしたものの中には舟盛りなど含まれていなかったからだ。 「こちらは店主からの差し入れでございます。この辺りは新鮮な魚介類が捕れますので、よろしければ是非お召し上がりいただきたいと存じます」  おそらくは粟津家が日頃贔屓にしている関係で、店側が気を遣ってくれたのだろう。氷川も冰も丁寧に礼を述べると、厚意に甘えることにしたのだった。  その後、お待ちかねの鰻重が運ばれてきて、二人は運転手の佐竹と共に舌鼓しつつ昼食を楽しんだ。 「何だか色々とお気遣いいただいてしまってすみません。本当に旨かったです!」  食後の水菓子を目の前にしながら、氷川がぺこりと頭を下げる。そんな様子に佐竹がまた瞳を細めながら言った。 「それにしても……氷川の坊ちゃまは本当にお噂通りの素敵な御方でございますね。真田様がご自慢なされるのも納得です」  その言葉に、氷川は水菓子を口に含みながら、驚いたようにして佐竹を見上げた。 「真田をご存じなんですか?」 「ええ。パーティーの際などに、いつも運転手や付き人たちの控え室でお顔を合わせておりましてね。色々と世間話などをさせていただいておるのですよ」 「そうでしたか」  真田というのは、氷川の家の執事の男のことだ。仕事で忙しく留守がちの両親に代わって、氷川家の一切を取り仕切っていて、氷川にとっては親代わり、もしくは祖父のような存在でもある。氷川が生まれる前から執事として勤めてくれていて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているのだ。  その真田と粟津家の運転手であるこの佐竹が顔見知りだとは思わなかったが、どうやらよく見知った仲らしい。 「坊ちゃまのことは真田様がいつも褒めておいでですよ。とてもご自慢の若き主なのだと」  佐竹の言葉に、氷川は苦虫を潰したように片眉をひそめながら、危うく口にした水菓子を喉に詰まらせそうになってしまった。 「……ッ、自慢って……俺が……ですか?」 「ええ。それはそれはお優しい心根をお持ちのお坊ちゃまだと、顔を合わせる度に褒めておいでです」 「……いや、そりゃ……”優しい”じゃなくて、”厄介”な――の間違いじゃないッスかね?」  謙遜したわけではなく、本心からそんなことを口走った氷川の様子が手に取るように分かったわけか、佐竹は微笑ましげに再び瞳を細めてこう言った。 「はは――確かに坊ちゃまは高校ではご学友に一目置かれる程のやんちゃぶり――」と、ここまで言い掛けて、照れ笑いを交えながら先を続けた。  

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