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第162話
「はぁ……まあ、俺は記憶力が悪いっつーか、あんまし頭がいいって方でもないんで……」
苦笑気味で氷川はタジタジと照れ笑いをしてみせたが、佐竹にはそんな氷川の率直なところが、まこと真田から聞き及んだ通りだと感嘆したようである。
「真田様はおっしゃっておられました。きっと坊ちゃまはその時のことなどお忘れでいらっしゃると思うと。ですが、真田様には一生涯忘れることのない、とても大きくてあたたかい坊ちゃまのお背中だったとおっしゃっておられました」
ふと、窓の外の竹林に視線をやりながら、佐竹は真田から聞いた時のことを思い出すように話を続けた。
「そう――真田様はこのようにおっしゃっておられました」
――せっかくご一家でお楽しみのピクニックに水を差すような事態になってしまい、申し訳ないことでした。私は大丈夫でございますから、どうかご散策をお続けになって欲しいと申したのですが、その時に坊ちゃまがおっしゃいました。
『ごちゃごちゃ言ってねえで、早く俺の背中におぶされ! しっかり掴んで離すんじゃねえぞ!』
言葉こそ荒いものの、坊ちゃまの表情から真のあたたかさを感じました。
その後、結構な長い道のり――、しかも山坂の起伏のある中、坊ちゃまは最後まで弱音一つ吐かずにずっと私をおぶってくださいました。ようやくと別荘に着いて背から下ろしていただいた時、坊ちゃまは汗だくでございました。季節は夏、照りつける太陽の下、真っ赤に頬を染めて、それでもご自分の汗を拭うより先に私を気遣ってくださって、『冷やして手当てするから早く足を出せ』とおっしゃり、甲斐甲斐しくお手当をしてくださった。
私は有り難くて嬉しくて、思わずこぼれそうになった涙を坊ちゃまに見られないようにするのに苦労致しました――
「真田様は本当に嬉しかったのでございましょうな。氷川のお家に仕えて良かった、これからも命ある限り、この若き主に仕えていこうと固く心に誓ったのだそうでございますよ。そんなお話を真田様からうかがっていたものですから、今日実際にこうして坊ちゃまとお話しさせていただくことが出来て、ああなるほど――真田様がご自慢に思われる理由がよく分かったのでございます」
「……はぁ」
普段は険しいと恐れられることの多い瞳をパチクリとさせながら、氷川は困ったように視線を泳がせていた。
「そうそう、それに坊ちゃまは普段からお邸にお仕えする方たちをよくよくお心に掛けてくださるのだともおっしゃっておいででしたよ!」
「はあ――?」
まだあるのかと思いつつ、氷川は正直なところ自分が使用人たちを気遣った覚えなど皆無といった調子で、若干唖然としながら佐竹を見つめてしまった。
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