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第163話

「坊ちゃまのお邸でお食事のお支度をなされていらっしゃる女性の方が、お夕飯の食材をお買いに出られた時のことだそうですよ。ちょうど坊ちゃまの下校時に出くわされたとのことで、その際に買われたお品物を坊ちゃまがお邸まで持って帰ってくださったんだそうでございます。普通は主が使用人の荷物を持ってやるなど、全く逆なのでございますが、坊ちゃまは進んで俺が持ってやるからよこせとおっしゃったそうで。調理場の女性の方はとても感激したそうです」  さすがにそのことは氷川もよく覚えていた。というのも、一度や二度のことではないからだ。邸の調理場の者が、駅前の大型スーパーで買い物をするのは日常のことなのだが、その時間帯がちょうど下校時と重なるわけだ。まあ、毎度というわけではないが、見掛けた際には買ったものを持って帰ってやるのは事実である。氷川は苦笑しつつも照れ臭そうに言った。 「うちの調理場を仕切ってる者はもういい歳なんですよ。俺のばあさんよりも年上っていうくらいでして。買い出しには車で行ってくれっていつも言ってるんですが、健康の為だとか駐車場が混むとかいろいろ言いましてね。こっちの言うことなんか聞きやしないんです」  彼女も執事の真田と同じく、氷川が生まれる前から長く仕えてくれている者だ。仕事で忙しい両親に代わって、幼い頃からよくよく面倒を見てくれた、まさに祖母のような存在だ。氷川にとっては家族も同然なのである。  だが、佐竹が感心したのは、氷川のように年若く一番格好をつけたい年頃であろうにも係わらず、恥ずかしがらずにスーパーの袋を持ってやり、しかも並んで一緒に帰るという――そんなところだったようだ。  氷川にしてみれば、突如予想もしていなかった褒められぶりにタジタジである。照れ臭そうにしながらも、困ったようにはにかむしかできないでいる。そんなところにも、佐竹は酷く感銘を受けると共に、好感を覚えたようだった。 ◇    ◇    ◇  こうして昼食を終えた氷川と冰は、佐竹に連れられて粟津家の別荘へと向かった。  目の前にはプライベートビーチが広がる好立地で、建物はといえば言うまでもない。バリ島やプーケット島といった高級リゾート地の豪華なコテージのような造りの離れを持ち、母屋である本館は、まるで五つ星のホテルさながらだった。  佐竹は別荘で管理人と一緒に待つというので、氷川は冰と共にビーチを散策することにした。  特にこれといってデートのプランも考えてはいなかったが、広大な海に午後の日差しがキラキラと反射しているこの絶景を、一緒に眺めるだけでもムードは満点である。

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