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第164話
氷川よりも半歩遅れる感じで後を付いて歩きながら冰がポツリと呟いた。
「なあ――、アンタってさ……優しいのな」
え――?
氷川はキョトンとした調子で、自分より背丈も身幅も華奢な冰を振り返った。その表情が全く別のことを考えていたといった雰囲気丸出しで、そんな様子にも冰は思いきり瞳を細めてしまう。
きっと、今現在のデートのことで頭がいっぱいで、つい先程佐竹から褒められたことなどすっかり忘れているのだろう。氷川の表情からはそんな様がよくよく窺えるようだった。
「さっきの佐竹さんの話――、アンタにそんな一面があったなんて――」
「ああ、あれには参ったぜ。何か、めちゃくちゃ大袈裟な話になってるしよ」
氷川はそう言って苦笑したが、冰にはそんな氷川にますます親近感が湧くような気がしてならなかった。
大概は、あれだけ褒められたならば、こうして二人きりになってからも多少なりと自慢げな雰囲気を醸し出していても良さそうなものなのに、氷川ときたらすっかり忘れたように普通そのものなのである。俺って案外いい奴だろう――などと威張るわけでもなければ、ひけらかすこともしない。それどころか、これからどんな会話でこのデートを盛り上げようか、ただ散歩するだけでは味気ないだろうし――くらいのことを考えていそうなのである。
別荘からここまで並んで歩いて来る間にも、さりげなく周囲の景色を見渡したりしながら、『見ろよ、波間が綺麗じゃねえか』とか、『プライベートビーチってだけあって、他人もいねえし正に絶好のデートスポットだな』などと話題を振ってくれたりしていた。少しでも二人で楽しめる何かを思案してくれているふうに思えるのだ。
そんな氷川に、冰はどんどん気持ちが傾いていきそうで、胸が高鳴る反面、これからのことを考えると切なくも思えて仕方なかった。
もうすぐ見知らぬ企業社長の愛人にならなければいけない自身の境遇が、重くのし掛かる――
氷川は『だったら、俺たち本当の恋人同士になろうぜ。そうすれば俺は自分の恋人を愛人にさせるなんてことはしねえ』と言ってくれた。とても力強く、有り難い言葉だった。
だが、本当に彼をこんなことに巻き込んでしまっていいのだろうか――と、迷う気持ちが沸々と湧き上がる。
事実、”愛人になる”という話が持ち上がるまでは、同性相手に恋愛をするということなど考えたことも無かった冰だ。叔父から初めてその話を聞かされた時に、脳裏に浮かんだのがこの氷川だったことは否定しない。新学期の番格対決で、隣校の男子生徒を相手に”ケツを掘らせろ”という淫猥な要求を出していたような氷川という男ならば、男性相手のそういったことにも慣れているのだろうと思ったことも事実である。
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