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第165話

 愛人の話を聞いた直後は酷く動揺もしていたし、見ず知らずの社長といかがわしい関係になるくらいなら、あの番格対決の時に出会った氷川という男とどうにかなってしまえたらと思ったことも本当だ。不良で名高い学園で頭を張っているような男なら、そのくらいの望みは叶えてくれるかも知れない――と、彼を軽く扱っていた自分に気付く。  無論、頭ではそんなことを思ってはおらずとも、心のどこかで氷川を軽視していた感があったことも認めざるを得ない事実であろう。  だが、先程佐竹から聞かされた氷川の意外な一面を目の当たりにした今、冰の中で、自分が如何に図々しい頼みを持ち掛けてしまったかと後悔の念が心を乱し始めていた。  申し訳なくて、自分が情けなくて、心の中がぐちゃぐちゃに揺れる。と同時に、こんなにも甘苦しい思いは、氷川に対して惹かれ始めている証拠でもあるのだろうか。  それを自覚できているのか、いないのか――、冰自身よく分からずに、とにかく胸を締め付ける様々な思いに押し潰されそうになっていた。 「どうしたよ? 疲れたか? それともどっか具合でも悪いのか?」  急にうつむき黙り込んでしまった冰の様子を窺うように、氷川が心配そうに覗き込んだ。 「ん――、何でもねえ。具合が悪いとかじゃねえから……」 「そうか? 無理しなくていいんだぞ?」  疲れたとか具合が悪いなら遠慮せずに正直に言えといわんばかりに、氷川がほとほと心配そうに眉をひそめている。冰はますます胸に甘い痛みが走りそうになるのを、必死で堪えていた。 「俺、アンタに……その……」 「――あ?」  氷川が小首を傾げて再び顔を覗き込む。その瞳が、心底こちらの様子を気遣っているふうに思えて、 「ん、あの……、氷川……君……。実は俺……」  冰は、何だか堪らなくなって彼の名を口にした。すると氷川はホッとしたように瞳を緩め、 「ンな他人行儀な呼び方よせって。――白夜でいい」  そう言って、大きな掌で頭をポンと撫でてよこした。  そんな仕草ひとつにも胸が締め付けられそうだ―― 「……白……夜」 「ああ、俺の名前だ。これから恋人になろうかってんだからよ、お互い、名前呼びの方が親近感が湧くだろが!」  照れ臭そうにそう言ってはにかむ氷川を目の前にすれば、あふれる気持ちが止め処なくなりそうで、冰は思わず滲み出してしまいそうな涙を堪えるだけで必死だった。  ダメだ――! このままじゃ、どんどん彼に魅かれていってしまう――  そんな気持ちを押しとどめんと、冰は思い切ったように言った。 「ごめん、氷川君……いや、……白夜……! さっき俺がアンタに頼んだこと……なかったことにしてくれ――」  ――!?  氷川は一瞬何を言われているのか分からないといった表情で、ポカンと口を開いたまま冰を見つめてしまった。

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