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第166話

「……無かったことにって……それ、どういう……」意味だよ――、その問いを遮るように冰は思いの丈をぶちまけた。 「アンタ、いい人だ……。優しくて思いやりがあって……こんな、殆ど見ず知らずの俺の為に一生懸命になってくれて……。そんなアンタを巻き込んじゃいけねえって……思うから」 「巻き込むって……俺は別に」 「本当は……!」またも氷川の言葉を遮るように、冰は必死の形相で先を続けた。 「……本当は……怖いんだ、俺……」 「――冰?」  突然の訴えに、氷川は生真面目な表情で冰を覗き込んだ。 「ごめん、氷川君……。俺、叔父から愛人の話を聞かされた時に……無意識にアンタのことが頭に思い浮かんだんだ。番格対決の時に男相手にヤるだのヤらないだの言ってたアンタなら……もしかして俺を抱いてくれるんじゃねえかって。あんな……会ったことも見たこともねえクソオヤジに好きにされるくれえなら……その前にアンタとヤっちまいてえって思ったのも本当――」  まるで立て板に水のような早口で、必死にそう訴える冰の言葉を、氷川は黙って聞いていた。 「でも……でもさ……。本当は心のどっかで思ってたんだ。”あの”川崎桃陵で不良の頭を張ってるようなアンタなら、あいつを……あのエロオヤジをぶっとばしてくれるんじゃねえかって……。俺は自分でも知らない内に……アンタに助けてもらいたい、アンタに救い出して欲しいって――そう思ってたんだ。アンタのことよく知りもしないのに……勝手に頼みに思って巻き込もうとしてた。それに気付いたんだ」  要は”悪名高い”桃陵学園で番を張っているくらいだから、理不尽な目に遭っていると相談を持ち掛ければ、暴力をもってしてでも解決してくれる気がした――というような意味なのだろう。氷川には冰の言わんとしている心中が何となく理解できる気がしていた。 「……冰」 「けど、アンタめちゃめちゃいい奴で……! 今だってこんな俺の為に、一生懸命楽しいデートになるようにって気を遣ってくれてる……。さっきの佐竹さんの話からも分かるように、こんなに優しくてあったけえアンタに……俺は何て自分勝手なことを頼もうとしてたのかって思ったら……情けなくて堪んねえよ……。自分が嫌ンなる……アンタに申し訳なくて……」  堪え切れなくなった涙がボロリと頬を伝ったのを必死に隠さんとばかりに、冰はグイグイと乱暴な程にその涙を拭った。  そんな彼を目の前にしながら、氷川もまた神妙な思いを呑み込むかのように瞳をしかめていた。そしてひとたび大きく息を吸い込むと、午後の日差しがキラキラと反射している大海原に視線を逃がしながらポツリと呟いた。 「――俺は、お前が思ってるような”イイ奴”なんかじゃねえよ」  まるで感情の無く――といったように吐き出されたそのひと言に、冰はハッとしたように氷川を見上げた。

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