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第167話
「俺はイイ奴なんかじゃない。さっき、佐竹さんが言ってたこともまるっきりの嘘ってわけじゃねえけど、あれはほんの一部分の話だ。佐竹さんやウチの真田が知らないところでは、褒められねえことしてるのも事実だ。学園の中でだって、不良同士の派閥争いでしょっちゅう揉め事が絶えねえし、近隣校の連中とは顔を合わせりゃ小競り合いの繰り返しだ。優しい奴でもなければ、イイ奴でもねえさ」
苦笑いというよりは、存外大真面目な様子でそんなことを口走った氷川に、冰の方は『そんなことはない』といったふうに、ブンブンと首を横に振って否定する。
「そ……んなことない。そりゃ……不良の頭って言われてるくらいなら、確かにそういう一面もあるんだとは思うけど……でも……アンタ、本当はすげえ……」
「優しくてイイ奴だってか?」
今度はしっかり苦笑しながら振り返った氷川の表情に、ドキリと胸が高鳴った。傾き出した午後の陽が逆光となって、はっきりとは分からないが、何だか酷く寂しげに思えてならなかったからだ。
冰は、まるでこのまま氷川がとてつもなく遠いところへ行ってしまうようで、得も言われぬ喪失感ともつかない思いに、身体が震え始めるような心地でいた。
それを確定するかのような氷川から飛び出した言葉――
「お前が”無かったことにしてくれ”って言うなら、それも悪くねえ。――お前を抱くって話も、俺らが恋人になるって話も白紙 にしようぜ」
そのひと言に、目の前が真っ白になった。
◇ ◇ ◇
まるで閃光が走ったかのように、全てが真っ白の世界に包まれて、今どこでどうしているのかも分からなくなりそうだ。
自分から言い出したこととはいえ、こうもあっさり『白紙 にしよう』などと言われれば、驚きを隠せないのも本当だった。上手い言葉など出てくるはずもなく、相槌など以ての外で、まるで幽体離脱でもしたかのように身動きできないでいる。
しばしの後、打ち寄せる波の音が耳元に戻ってきたと思った次の瞬間に、この氷川からもっと衝撃的なことを聞かされる羽目になるとは、この時の冰には想像すらできずにいた。
「よくよく考えてみりゃ、俺にはおめえの恋人になる資格なんてねえんだよ――」
苦笑しながらそう言う氷川に、冰は必死という勢いで首を左右に振ってみせた。
「資格がないなんて……そんなこと……! それをいうなら俺の方で……」
「お前さ、番格対決を見に来てたんなら知ってるだろ。俺のタイマン相手だった野郎のこと――」
「え……? えっと……ああ。四天学園の頭って言われてた人だろ……? 確か一之宮君……だったっけ?」
「ああ――。俺はその一之宮に……絶対に許されねえ、とんでもねえことをしたんだ」
「……とんでも……ないこと……って?」
「――犯 っちまったってこと」
「ヤった……って……何を……?」
「俺はヤツを強姦した」
重く低い氷川のひと言に、今度は目の前が真っ暗になった。
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