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第174話
そんな冰の甘苦しい想いを断ち切るかのようなひと言が氷川からこぼれたのはその直後だった。
「冰――、俺ん家の車で送るから、今日のところは帰れ」
「え――!?」
「俺はこの後、まだ少し用事があるんだ。ここにいてもお前の相手はしてやれない。粟津ン家のホテルにはまだいられるんだろ?」
「え……? あ、ああ。この連休中は帝斗の家に泊まるってことで、お袋にはそう話してる」
「そうか――。だったらとりあえずホテルへ帰れ」
「で、でも……俺……アンタに……」
冰は慌てたようにして、昨日氷川から借りたハンカチを差し出してみせた。
「ごめん、洗ってアイロンを当てたんだけど、少し汚れが残っちゃって……」
僅か震える手で必死に差し出されたそれを見ながら、氷川はギュッと唇を噛み締めた。
「――構わねえさ。それはお前にやるって言ったろ? それとも――」こんな俺の持ち物だったハンカチなんていらないと言うのなら――そんな言葉を取り上げるように、冰は言った。
「本当にっ……貰ってもいいんなら……言葉に甘えるよ」
「……冰、お前」
「これ、アンタの名前だろ? この刺繍……。だから……大事にする。約束するよ。本当にありがとう」
瞼を震わせ、言葉通り指先で大事そうに刺繍部分を撫でる。まるで愛しげにハンカチを胸前で握り締めた冰に、氷川も思い切り心を揺さぶられていた。
今にも抱き締めてしまいたい衝動が沸々と胸を焦がす――そんな気持ちを押し留めるように、氷川は自らの拳を握り締めた。
「――なるべく早く対策を考えて、必ずお前に連絡する。だから少し待っていて欲しい」
「……白夜……」
氷川の真剣な様子に、冰は酷く驚いていた。
「あの、白夜……」
「何だ――」
「アンタ……どうして……。どうしてそんなに俺の為に一生懸命になってくれるんだ……?」
「え……?」
「そりゃ、俺があんなこと相談したから……何とかして力になってくれようとしてるのはすごく分かるし、その……有り難いと思ってる。けど……どうしてそんなに……」
(真剣に――、そう、ともすればまるで自分のことのように――出会ったばかりの俺なんかの為に、そんなに良くしてくれるんだ――)
冰のそんな内心が伝わったというわけか、
「どうしてって……」
氷川は困ったように少し眉をひそめ、だがすぐに意思のある様子で言った。
「お前に――辛え思いをさせたくねえ。ただそれだけだ」
氷川の言葉に、冰はますます驚いた。
「俺に……辛い思いを……?」
「ああ。させたくねえ。お前が……何処の誰とも知らねえヤツの愛人にされるだなんて――冗談じゃねえ」
「……白夜」
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