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第194話

 数人で氷川をド突き放題――、だが、いくら蹴りを入れようが突き飛ばそうが、大してよろけもせずに、ましてや反撃のひとつも繰り出さない直立不動の氷川の様子に、次第に焦れが高まりを見せる。そんな気持ちを悟られんとしてか、一団の中核人物らしい男がついには声を大に怒鳴り始めた。 「いいか、氷川! てめえみてえな腑抜けはもう”(あたま)”でも何でもねえ! 今日から桃陵を背負って立つのはこの俺だ! 二度とデケえ面すんじゃねえぞ!」  そして、周囲の野次馬連中にも聞こえるように、 「てめえらもよく覚えとけ! 桃陵は今日から俺が仕切る!」まるで桃陵の”頭”が氷川から自分へと交替したことを宣言するかのような大声で、そう息巻いてみせた。 ――と、そこへ氷川を取り巻いていた円陣を崩すように、間を割って入ってきた男が一人。長身のその男の存在に気付いたと同時に、彼に道を開けるかのように誰もがおずおずと一歩二歩と後退る。男の手には氷川の学生鞄が握られていた。 「先輩方、朝っぱらからこんなところで、みっともねえマネやめてもらえませんか」  口調こそ穏やかだが、その視線は鋭く、得体の知れない威圧感を伴ってもいる。彼のそのひと言で、今まで息巻いていた連中が思わず苦虫を潰したように静止状態となってしまった。たった今、自らが”桃陵の頭はこの俺だ”と宣言していた男さえもだ。 「――ッ、てめえ……二年の春日野か……。三年(うえ)の話に首突っ込むんじゃねえよ! すっこんでやがれ!」  威厳を保たんと一先ずはそう怒鳴ってみせるも、春日野と呼ばれた二年生を相手に、まともにやり合う気はさらさら無いらしい。どうやらこの下級生には、三年生である不良連中たちでさえ一目置いているような感が垣間見える。気まずい雰囲気が漂い始める中、遠目から生徒指導の強面の教師が駆け付けて来る様子に気が付いて、皆が蜘蛛の子を散らすようにその場を後にした。  そんな様子を横目に、無言のままの氷川と、そして春日野という下級生だけが昇降口に取り残される。 「あの、これどうぞ」  拾った鞄の埃を軽く叩いた後、春日野が氷川へとそれを差し出した。 「ああ、済まない。世話を掛けたな」 「いえ――」  春日野は、まるで氷川に対して敬意を表すかのように軽く一礼をすると、教室へと向かうべく静かにその場を後にして行った。  その後、教室へと向かった氷川を待ち構えていたのは、何とも奇妙な雰囲気であった。先刻の昇降口での騒動を目にしていた者も多いのだろう、誰もが腫れ物に触るように氷川を遠巻きにするだけで、『久しぶりだな』のひと言さえ掛けてくる者はいなかった。  これではまるで四面楚歌である。先程、氷川に絡んできた連中は別のクラスだったから、教室内では顔を合わせずに済んだが、正直なところ居たたまれない雰囲気であるのは確かだった。  そんな状況が続く中、数日が過ぎ――いよいよ冰が氷川邸に越してくる日を迎えようとしていた。

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