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第179話
「ああ、すまない。紹介しよう。こちらは綾乃木天音 さんだ」
帝斗にそう紹介された男は、氷川に向かって丁寧な会釈をした。
「はじめまして、綾乃木天音です。私は帝斗さんの運転手兼、側付きとして勤めさせていただいております」
「あ、はい――どうも。自分は氷川白夜といいます。粟津君とは高校が近くでして、歳も同じ高校三年生です」
氷川も続いてぺこりと頭を下げ、自己紹介をする。そんな二人の様子を傍でにこやかに眺めながら、帝斗が綾乃木という男について、もう少し詳しい説明を補足した。
「彼は綾乃木財閥の御曹司でね、白帝学園の出身なんだ。僕の十期ほど先輩で、彼も在学中は生徒会長を務めていたんだよ」
なるほど、十期も上というなら十歳年上ということになる。つまりは現在、二十七、八歳くらいだろうか――どうりで落ち着いて見えるわけだ。
また、綾乃木財閥という名前にも聞き覚えがあった。だが、氷川のおぼろげな記憶では、確か綾乃木財閥はだいぶ以前にどこかの企業に吸収されて、今では一族の名は残っていないはずである。氷川にとっては子供の時分の頃のことだったが、両親がそんな話をしているのを聞いたような気がするのだ。当時はかなりの衝撃的なことだったようで、毎日のように夕卓でそんな話題を聞き及んでいたような記憶がある。
そんな氷川の心の内が透けて見えたというわけではなかろうが、綾乃木という男は何とも神妙な様子でこう付け足してみせた。
「実は私がまだ学生の時――今からもう十年程前のことになりますが、両親が事故で他界致しまして。ちょうど大学に入学したばかりの私は、頼る親族もおらずに途方に暮れておりました。その時に帝斗さんのお父上が綾乃木を吸収してくださったんです。私を粟津のお邸に引き取ってくださり、大学もそのまま通わせていただけて、本当に助けていただきました」
「――そう……だったんですか」
氷川は驚きつつも、真摯な顔付きで綾乃木という男の話に耳を傾けていた。綾乃木が続ける。
「帝斗さんのご両親と、そして勿論帝斗さんにも本当にお世話になりました。私にとって粟津のご一家は、まさに命の恩人なのです。ですから少しでもその恩に報いたいと、常々思っておりますが……なかなかご恩返しも儘ならずでして。今でもこうして粟津のお邸でお世話になっておる次第です」
何だかこの屈強な感じの男からは想像し難いような話であるが、当の本人が言うのだから間違いないのだろう。と同時に、彼の境遇が今の冰が置かれている立場とよく似ているような気がして、氷川はとても他人事とは思えない心持ちであった。
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