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第192話

 一方、氷川の方も、家に戻るとすぐに執事の真田にこれからのことを伝えた。もうすっかりと夜半を過ぎていたが、真田は未だにきちんとスーツを着こなしたままの姿で氷川の帰りを待っていてくれたのだ。  氷川邸は二階建てだが、大きな屋敷だ。部屋数も一見にして何部屋と数えられないくらいの規模である。氷川の自室は二階の中央付近にあるが、その右側は留守がちな両親の書斎と寝室、娯楽室や図書室などとなっている。そして左側には氷川が将来使うことになるであろう書斎と、これまた将来迎えるであろう嫁用として作られた部屋があり、そのまた隣から続けて三部屋ほどが客室というような配置になっていた。各部屋にバスルームと洗面所が設えてあり、まるで高級ホテルのような造りである。  そして一階には応接室の他にダイニングと調理場があり、真田の執務室とプライベートな自室もある。真田以外の使用人らは、裏庭に建てられた別棟に住み込みで生活しているといったふうであった。 「冰の部屋は俺の書斎の隣でいいだろう」 「書斎のお隣といいますと……将来の奥方様のお部屋でございますか?」 「……ッ、奥方なんて迎えねえからいいんだよ」 「坊ちゃま! そのようなことをおっしゃられてはなりませんぞ! いずれは坊ちゃまが氷川貿易を継がれるわけですから、それはそれは素敵な奥方様をお迎えになりませんと!」  胸前で両の掌を擦り合わせ、首を斜めに傾げながらそんなことを言う。まるで一昔前の少女漫画に出てくる執事さながら、瞳の中にはキラキラと輝くエフェクトのようなものが浮かんでいそうなくらいの表情で見つめられて、氷川は呆れ顔だ。 「お前なぁ……何、時代遅れなこと抜かしてんだって……。と、とにかく俺の大事なダチだ。なるべく住み心地のいい部屋を用意してやりてえんだよ」 「はぁ、それは勿論承知致しておりますが……やはり私と致しましては、坊ちゃまのご結婚式の晴れ姿を拝見するのが楽しみなんでございますよ」 「ああ、分かった分かった。そういう縁があった時はお前に一番に見せるからよ!」 「左様でございますか!」 「ああ、左様だ。約束する」 「ありがとうございます! では未来の奥方様のお部屋にお住まいいただけるよう、リネンなど手落ちのないように整えておきましょうな」  珍しくも鼻歌まじりで、真田もどことなく楽しげな様子である。普段は若き主人の氷川が一人だけという物静かな生活が一気に活気付くようで、張り切っている感があるのだろう。そんな彼を頼もしげに見つめながら、氷川もまた近々始まる冰との生活を思えば、無意識に心躍らせるのだった。  例え自身の想いは伝えられずと分かってはいても、とにかくはあの冰と共に一つ屋根の下で暮らせるわけだ。川西らのことを思えば緊張も無論のことだが、目先の同居生活が嬉しくないわけがなかった。  今後待ち受けている様々な怒涛の日々を知らぬまま――氷川はひと時、胸の中で点り始めた小さな幸せの炎を、大事に両の掌で温めるような心持ちでいたのだった。

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