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第223話
そうだったのか――。
氷川はその時のことを覚えておらず、春日野の言葉を聞いて、酷く驚いたといったところだった。実のところ、カツアゲ等は横行しているし、放課後やなんかにそういった現場に出くわすことも割合多い。ヘンな話だが、対等にやり合っているなら口出しはしないが、いかにも弱そうな者を取り囲んで脅しているような時には、胸糞が悪いので仲裁に入ることも多かった。
そんな氷川にしてみれば、助けた案件をすべて把握していられるわけもなく、もはや彼にとっては日常茶飯事の一部なので、いちいち覚えていないというだけなのだ。だが、助けてもらった側にすれば、それは感動に等しいものであるに違いない。氷川が自然と『桃陵の頭』として崇められていったのも、そんな経緯からというのもあったのだろう。
「さて――と! 傷口の処置は終わったわ。どうやら骨の方も異常はないみたいだし、あとはお父さんの方で内傷がないか診てもらってね」
外科医だという春日野の母の治療が済むと、あれほどジクジクと疼いていた身体中の痛みが、少しはマシになったように感じるから不思議だった。
「それにしても、あなた、すごい立派な筋肉ねぇ。これのお陰で骨が折れたりしなくて済んだってところね。何か鍛えているのかしら?」
春日野の母が頼もしげな調子で言う。
「あ、ええ……。家で少しトレーニングを……」
「まあ! ご自宅で? てっきりジムにでも通っているのかと思ったわ」
そんな二人の会話に割り込むようにして春日野が口を挟んだ。
「この人の家はあの氷川貿易だぜ? 家にマシーンくらいあっても不思議はねえよ」
「ああ、そうだったわね! 氷川貿易の御曹司君だったわね、キミ!」
「母さん! またそうやって失礼な物言い――やめろって!」
処置台で横たわる氷川に向かって「すみません」と頭を下げながら、気恥ずかしそうにしている春日野は、普段の精悍なイメージからは想像がつかない。だが、こんなふうに親子でポンポンと物を言い合える仲が微笑ましくも思えて、氷川も何故だか温かい気持ちになっていくのを感じていた。
母子の遠慮無しの会話の傍らでは、内科の方の検診も済み、痛み止めの注射なども打ってもらって、大分身体が楽になった。
その後、休養を兼ねて茶をご馳走になり、衣服も春日野のものを借りて着替えると、彼らの厚意に甘え、氷川は車で自宅まで送ってもらうことになったのだった。
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