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第248話

 墨色のスーツに墨色のタイ、濡羽色(ぬればいろ)の髪に漆黒の鋭い瞳――若い男だというのだけは分かったものの、川西らはあまりの恐ろしさに、まともに男の顔を見ることもできずにいた。誰もが腰が抜けたようにして床に縮こまりながら、顔面蒼白で震えている。  発砲で男らのナイフと髪を的確に削ぎ落とした腕前からも分かるように、この若い男は相当に腕が達つのだろうということも言わずもがなだ。それよりも何よりも男のオーラだ。触れた途端に鋭い刃で切り刻まれんばかりの恐怖の雰囲気を纏っている。直接攻撃を受けた筋者の二人などは、既に錯乱状態だった。  その若い男は、先ず川西の首筋に鋭い一撃を加えると、周囲にいる手下たちにも同じようにして、目に物くれぬ速さで、あっという間にその場の全員の意識を刈り取ってしまった。全員が気絶したのを確認すると同時に、急ぎベッドへと向かい、そこで冰を腹の下に抱え込んでいる氷川へと駆け寄った。 「氷川だな? 遅くなってすまなかった」  今の今まで(まと)っていた殺気が嘘のように消えてなくなった穏やかな声音で、男はそう声を掛けた。 「お……前……!? 鐘……崎? どう……して……」 「駅前で偶然、白帝学園の粟津っていうヤツに会ったんだ。ヤツから事情を聞いてお前を追い掛けて来た」  そう、駆け付けた若い男は四天学園の鐘崎遼二だったのだ。帝斗の話から氷川一人では対応しきれないだろうと踏んで、すぐさま後を追ったのだ。その際に側近の源次郎にも応援を頼み、万が一の事態を想定して、医療具を積載した車や護身の為の道具なども持参してくれるようにと手配した。筋者の振り上げたナイフを削ぎ落とした拳銃もその内のひとつであった。  鐘崎の実父は裏社会に身を置く実力者で、養父は香港マフィアの頭領という境遇だ。いつ何時、何があっても対処できるようにと、普段から備えだけは万全にしている。拳銃など、まさかこの日本の地では使うこともないだろうと思っていたが、念の為と持参してきたのだ。  氷川と冰にとっても苦渋の災難ではあったが、この鐘崎の機転のお陰で、寸でのところで最悪の事態は免れたのだった。 「大丈夫か? 酷くやられたようだが――医療の心得がある者を連れて来ている。すぐに診てやれる。気をしっかり持つんだ」  鐘崎は氷川を抱き起こしながら肩を貸し、そう言った。そして、氷川の腹の下であられもない格好のまま縮こまっていた冰を自らの上着で覆ってやり、「あんたが冰か?」そう訊いた。 『……はい』  鐘崎は、声が出せないままビクビクと頷いた冰を今ひとたび氷川の腕の中へと戻すと、 「源さん、彼にガウンを。それから担架も回してくれ。至急頼む」  そう言って、再び氷川の肩をポンポンと労うように撫でた。 「よく頑張ったな。もう大丈夫だから安心しろ」  切なげながらも敬服の面持ちで微笑む。すると、氷川もつられるように笑みを返しながら、 「鐘……すまない……こいつを……頼……」  それだけ言い残すと、安堵したように鐘崎の腕の中へと倒れ込み、がくりと意識を手放してしまった。 「白夜……!」  声にならない掠れ声で冰が叫び、だが、鐘崎は、 「大丈夫だ。いっとき気を失っただけだ。すぐに処置をすれば命に別状はない」  冰を安心させるように頷きながら言った。と、その時だ。忙しない勢いでバタバタと階段を駆け下りて、数人の男たちがやって来た。氷川と冰を追い掛けて来た粟津帝斗と綾乃木だった。  彼らの後方から紫月も顔を見せた。鐘崎は紫月に気付くと、冰を彼へと託して、 「お前が側に居てやれ。俺は氷川を――」 「ああ、分かった。こっちは任せてくれ」  そう言って、二人は頷き合ったのだった。 ◇    ◇    ◇

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