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第259話

「香港の社交界でそういう噂があったってだけだから……事実かどうかは分からねえが。とにかく一之宮が危険だ! 俺はヤツを追い掛ける。冰、お前はこのことを鐘崎に知らせろ!」  氷川はそう言うと、すぐさま紫月の押し込まれたトラックを目掛けて走り出した。 「分かった! 気を付けて!」  冰も急ぎ、この場を走り去って行った。 「俺は車を回してくる!」  綾乃木も立ち上がり、帝斗はその場に残ってトラックの様子をカメラに収めんとタブレットを取り出した。ズームすると、氷川が上手く車両後部の扉を開けて、荷台に乗り込むのが確認できた。 「氷川君、頼むよ――」  帝斗は祈るような気持ちでその様子を連写し、赤い車の女やトラックの運転手をもカメラに収めたのだった。 ◇    ◇    ◇  一方、荷台へと忍び込んだ氷川は、紫月の無事を確認できていた。どうやら眠らされただけのようだ。中は真っ暗闇であったが、幸いなことに運転席とは完全に隔離されている状況だから、一先ずのところ気付かれていないらしいのは救いだった。  スマートフォンのライトで照らすと、意識を失って横たわっている紫月と、周囲には段ボール箱がいくつも積まれていることが分かった。箱に印字された文字を見ると、よく知った洗剤やティッシュペーパーやらの商品名が記されている。おそらくはどこかの運送会社のトラックなのだろうかと思えた。 「台所洗剤とシャンプー、キッチンペーパーに入浴剤。それと糊にノートに消しゴム、ボールペンだと? こっちは煎餅に菓子パンまであるじゃねえか……!」  積まれている物に一貫性はなく、多種多様だ。もしかしたらスーパーか、あるいはドラッグストアなどの荷物なのかも知れない。 「……ってことは、盗難車ってことか……?」  ザッと見渡せど、監視カメラなどの類いは無さそうである。パンなどの食料品が積まれているせいもあってか、空調設備も動いている為、熱中症などの心配もとりあえずはない。車は移動を続けているようだが、目的地に着くまでは運転席の男らにバレることもないだろう。氷川は、一通り車内の様子を確かめると、すぐさま冰に宛てて現状報告の電話を入れたのだった。 「もしもし、冰か!? 鐘崎とは落ち合えたか?」 『うん! 白夜の方は!?』 「こっちも何とか無事だ。俺が乗り込んだこともまだバレてねえようだし、一之宮も気を失ってるだけで息はある」 『そっか、良かった……! 今、鐘崎君に代わるから』  氷川は鐘崎に現状を伝えると共に、GPSで追い掛けてくれるようにと頼んだ。 『氷川、すまねえ。恩に切るぜ。紫月を頼む』 「ああ、任せろ。何か動きがありそうだったらまた知らせる」  鐘崎とも無事に連絡がついたことだし、彼ならばすぐに追い付いてくれるだろう。とにかくは車が目的地に着くまでに紫月の意識を取り戻すことが先決だ。氷川は彼を抱き起しながら、ゆさゆさと肩を揺さぶり、耳元でその名を呼び続けた。  とんだ災難ではあるが、割合容易に事件は解決するだろうとタカを括ってもいた。まさかこの後とんでもない出来事が待っていようなどとは、この時は想像すらできなかったのである。 ◇    ◇    ◇

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