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第261話
「なぁ鐘崎……お前、その女とはどうなんだ? 許嫁ってのは本当なのか?」
「俺がガキの頃に親同士の間でそんな雑談をしていたことがあったというだけだ。とっくに解消になってる」
「そうだったのか。じゃあ、お前は一之宮オンリーってことでいいんだよな?」
「勿論だ。この前、その女が来日した際に、本人ともきちんと話をつけたんだがな」
「そっか。安心したぜ」
ではやはり女の方では未だ鐘崎を諦め切れていないといったところなのだろうか。紫月を拉致して、今度は二人で話をつけるとでもいうつもりなのか。
「とにかく俺は源さんと共にこれから香港行きの手配をつける。お前らの方が先に離陸しちまうだろうから、追い付くまでにはどうしても時間的なロスが生じる。すまないが、それまでの間、紫月を頼む」
鐘崎の説明によると、女の方では既に全ての手はずが整っているようで、飛行機も一般とは別のプライベートジェットだということだ。トラックごと機内に乗り込むようなので、氷川の存在も知らぬまま離陸ということになるらしい。もしかしたら高度が落ち着いた頃に彼女らがトラックの荷台を開けて確認することがあるかも知れないから、十分に気を付けて欲しいとのことだった。
「もしもお前が乗り込んでいることがバレて美友 と対面することになったら、すぐに俺宛てに連絡を取ってくれ。直接俺が話すと伝えて欲しい」
美友 という女は鐘崎の携帯番号すら知らないので、氷川を通して連絡がつくことが分かれば、そう無碍にもできないだろうというのだ。
「とにかく俺を餌に時間を稼いで欲しい。現状では紫月を拐 った目的が何なのか分からないが、彼女は俺に心に決めた相手がいることを知っている。その相手が紫月だということを突き止めたのかも知れない。俺もお前らが香港に着くまでには何としても追い付けるようにする」
「分かった。こっちは何とか上手くやるさ。何かあったらお前の携帯にかけるぜ」
「念の為、源さんの番号も知らせておく。世話を掛けてすまないが――よろしく頼む」
鐘崎との通話を終えると、氷川は紫月の横に腰を下ろしながら、ふうと深い溜息をついたのだった。
それにしても、わざわざ香港にまで連れて行って何をしようというわけだろう。鐘崎の目の届かないところで紫月に嫌味のひとつも言うつもりなのだろうか。大袈裟にも程があるというものだが、相手の女は香港の有名ホテルの令嬢ということだったし、そのくらいのことは朝飯前というわけか。
氷川はそんなことを思い巡らせながら、もしも彼女らと対面した時の為にと、再び車内の荷物を物色することにした。もしかしたら一悶着あるかも知れない。相手は刺青をした男たちもいたことだし、戦闘体制だけは整えておいて損はないだろう。
まさかこの後に想像を遥かに超えるような突飛な出来事が待ち受けているなどとは、思いもしなかったのである。
◇ ◇ ◇
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