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第264話
「それにしてもよ、お前を拉致って香港まで連れてくってさ。あの女、かなりヤベえわな。もしか、お前に直接嫌味でも言うつもりなんだろうか」
「まさか……。いくら何でもそんなことの為に香港までって……」
「いや、分からんぞ。”遼二”はアタシのものよ! アンタなんかにあげないんだから――! とでも言い出すんじゃねえの?」
女っぽい口ぶりをマネながら、上半身までくねらせてそう言う氷川に、紫月は思わず噴き出しそうになってしまった。こんな時にブラックジョークなんて――と思えなくもないが、氷川なりに元気付けてくれているのだろうことが分かる。紫月はそんな心遣いが素直に嬉しかった。ところが――だ。
「その通りよ! 遼二はずっと昔からアタシの婚約者なんだから! 余所者は消えて欲しいの!」
突如扉が開けられて、当の女が姿を見せた。
「……っと! 噂をすれば、ご当人の登場かよ」
氷川はすかさず紫月を庇うように彼を自らの背で隠すと、女との対面を買って出た。
「……あなた一体誰!? 何でここに乗り込んでいるのよ!」
美友 という女は、氷川の存在に酷く驚いたようで、眉間に青筋を立てながら睨み付けてきた。
「ほぉ? 随分と日本語が堪能じゃねえか。感心と言えなくもねえが――」
「当然よ! これから夫になる彼の母国語だもの。どちらの言語でも話せて当たり前よ」
「ふぅん? 心意気は立派だが……それにしても、こんな酷え方法でいきなり拉致るとか、あんた、綺麗な顔してやることはえげつねえのな?」
「えげつないですって? それはあなたの方でしょ? 一体何者よ!」
「俺はこいつと鐘崎の友人だ」
「友人ですって?」
「ああ。ちょうどあの場に居合わせたもんでね。こいつが拉致られるのを目撃したんで、加勢かたがた付いて来たってわけだ」
「まあ、ご立派な友情ですこと!」
彼女の後方から拉致の実行犯であろう男たちも顔を見せた。
[あなたたち、どういうこと!? こんな余分な男まで連れて来て!]
今度は広東語だろうか、言っている意味は分からないが、氷川まで連れて来てしまったことを詰っている様子が、彼女の口ぶりで分かる。
「……っまったく! 招かれざる客であるけれど、来てしまったものは仕方ないわね。今更降ろすわけにもいかないし。こうなったら、あなたにもとことん付き合ってもらうまでだわ」
「随分とまた物分かりがいいじゃねえか」
「さあ、それはどうかしら? そんなことより……一之宮紫月! あなた、広東語は話せて? 遼二をたぶらかしてくれたようだけど、まさか彼の生まれ育った国の言葉も喋れないなんて言わないわよね?」
美友は皮肉たっぷりといった調子で、侮蔑するかのように紫月を見やった。
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