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第265話

 遼二の母国語が話せるということ――それが彼女の誇りなのだろう。と同時に、自分にはできて紫月にはできないことを例に挙げて、自尊心を誇示したいのだろうと思えた。 「あのよ、あんたがバイリンガルなのはすげえことかも知んねえけどよ。今はそんなことより……」  氷川が紫月を庇うように口を挟んだ、その時だった。 「――しゃべれねえよ」当の紫月が割合落ち着いた面持ちでそう答えた。 「聞くのも話すのも全くダメだけど――それが何?」  正直に認めた紫月に、美友の方は満足だったのだろう。より一層侮蔑するかのようにこう吐き捨てた。 「あら、開き直る気なのかしら?」 「……そんなんじゃねえよ」 「あなた、それでよく遼二の恋人面ができたものね? 彼には香港に帰れば立場ってものがあるのよ? 各界の要人との付き合いも多いわ。社交界に顔を出すことだって。そんな中で広東語すらしゃべれないで、どうやって彼をサポートしてあげられるのかしら?」  つまり、遼二の隣に立つ資格があるのは自分だと言いたいのだろう。 「しかも……男同士で付き合っているだなんて……破廉恥もいいところじゃない! そんなことが知れたら彼の立場はどうなると思って? あなた、遼二の人生をめちゃくちゃにする気っ!?」 「…………」  さすがに紫月も上手くは返答儘ならない。 「あ……ンなぁ! ンなのは……当人同士の自由だろうが! 男同士で付き合おうが、鐘崎とコイツが好き合ってるんなら、他人がどうこう言うことじゃねんじゃねえの?」  さすがに氷川も口を出さずにいられない。だが美友は、 「部外者は黙ってて! これは一之宮紫月とアタシの間の話よ!」  刺のある表情で、ピシャリと氷川を切り捨てた。 「まあ、いいわ……。とにかく、遼二はアタシのものよ。あなたにはあなたにふさわしい人生を用意してあげる!」  不敵に言い捨てると、実行犯の男たちを伴って踵を返し、 「とりあえず降りてちょうだい。お手洗い休憩くらいさせてあげる。軽食も用意したわ。分かったら、サッサとこっちに来てちょうだい!」  そう言って荷台を降りていった。  確かに長時間のフライトで、寒さの中にずっといたわけだ。とんだ高飛車な女の言い分だが、今の紫月と氷川にとっては、トイレに行かせてもらえるのは有り難かった。 「……ったくよー……なんちゅー女だ!」  しかめっ面で氷川は舌打ち――、紫月は黙ったままで眉根を寄せる。ともあれ二人は美友に従うしかなかった。

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