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第16話
紫月がこの店に出入りするようになったのは、かれこれ二年程前からだったか。実家の道場に通ってきていた年上の門下生から紹介されて連れ立ったのがきっかけだった。
紫月の家は曽祖父の代から続く道場を経営していて、現在は父親が看板を継いでいる。合気道を主に、小学生から大人まで幅広い年齢層を指導しているその教室で、自らもまた幼少より学び育ってきたというわけだ。
だからか、その気質の大きさと腕っ節の強さから学園の番格だなどと持ち上げられもしたのだろうが、とにかくそこに通って来ていた一人の門下生の存在が彼にとってひどく大きかったことは事実だ。
当時、紫月は高校に上がったばかりの時分、何となく奇妙に感じていた自身の中の特殊な感情を持て余しては、気の晴れない日々を送っていた。
そんな様子を道場の門下生だったその男に悟られて、相談に乗ってもらったのが始まりだった。
何故か異性に興味の持てない自分。それとは逆に、ある特定のクラスメートや部活動に勤しむ上級生の男などを前にした時などに急激に高まる心拍数――その原因を考え始めると、徐々に不安がよぎるようになっていった。
門下生の男は当時、紫月より六歳も年上の大学生。彼の直観が確かだったということなのか、自分でもよく分からない悩みの感情を見抜かれた時は、正直なところ驚きを通り越して感激に至ったくらいだった。
以来、紫月は彼を慕い、何かと付き従うことが多くなっていった。かといってこの彼に対しては格別な恋慕の感情があるというわけではなかったが、それよりも厚い信頼を伴った依頼心のようなものが強かったかも知れない。
そうこうして行動を共にする中で、この店へも連れてきてもらうようになった。
自らがゲイであると紫月が確信したのはこれから間もなくしてのこと、門下生の彼以外にも気を許せる誰かが居るこの場所が、自身にとって安らげる空間であることは確かだった。故に自然と一人でも足を運ぶことが多くなっていった。
思えば小中学生の時分から、同級生らがクラスの女子連中の話題に花を咲かせる中、あるいはその女子らからバレンタインだ何だとカコつけて贈り物をもらったりする中で、それらを格別に嬉しいとも感じない自分に戸惑いを覚えていた。クラスメートの男子らと比べて晩熟なのか、あるいは案外感情の希薄なタイプなのかと思ってもいた。それどころか、頬を染めて告白めいたことをしてくる女子や、それを周囲で囃し立て、応援するなどと盛り上がっている女子グループの様子には嫌悪感すら感じられることも少なくはなかった。だからこそ、高校は男子校であるこの四天学園を選んだくらいなのだ。
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