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第271話
「おい――、もうよせって」
美友の背後で、氷川が呆れたようにそう言った。
[うるさいわね! あんたたちは黙ってて!]
さすがに余裕がないのか、広東語のままでそう突っ返す。氷川は、ますます呆れたように溜め息まじりで肩をすくめてみせた。
「――ったく、おかしな雲行きになったもんだな? あんた、一体どういう経緯でヤツらを雇ったんだよ」
[そ……んなこと、どうだっていいでしょ! あんたたちには関係ないわ!]
「関係ねえどころか、ご同輩ってのが正しいんじゃね? 事実、アンタも一緒にこうやって捕まっちゃってんじゃん」
[し、失礼なこと言わないでッ! 誰が捕まってなんか……]
「それによ――煌 一族の名前を傘に着るとか、安易なこともよした方がいいぜ。あんなチンピラ連中に何言ったって通用しねえよ。それどころか、一大マフィアの名前なんぞ出して大見栄切りやがってって、笑われるのがオチだ」
[なんですって!]
無遠慮にズケズケと物を言う氷川に、美友はムキになって思い切り彼を睨み付けた。――が、ハタと何かに気付いたように瞳を見開くと、怪訝な顔付きで氷川を見やった。
興奮していたので気が付かなかったが、今のやり取りは氷川が日本語で投げ掛けたことに対して、つい広東語のままで返していたというのに会話が成り立っているという不思議だ。
「あなた……まさか広東語が分かるの……?」
美友は、未だきつい眼差しで氷川を睨みながらも首を傾げた。
「ンなこたぁ、どうだっていいだろ。それより――取引相手ってのはまだ来てねえんだろ? だったらアンタにもちょっと手を貸してもらうぜ」
「はぁ!? 手を貸すって何よ! 冗談じゃないわよ……!」
「取引相手がやってくる前にここを抜け出すんだよ。アンタだって売春組織に売り飛ばされるなんざ、嫌だろうが」
「……! だからって……何でアタシがあんたたちに手を貸さなきゃなんないのよ!? アタシに何をさせる気ッ!?」
「別に難しいこっちゃねえよ。ただ大声を上げてくれりゃいいだけだ」
「何ですって!?」
「あんたが叫べば、ヤツらは様子を見にやって来る。中を確かめるのに鍵を開けるだろうから、その隙を突いて脱出しようって算段」
氷川は紫月とも打ち合わせるように目配せをしながらそう言った。
なるほど、今なら相手は例の刺青の男が二人きりだ。氷川と紫月が力を合わせれば、倒せる可能性も高い。敵の人数が増える前の今が一番の好機といえる。紫月もその意を汲むと、美友に向かって頭を下げた。
「頼む。力を貸してくれ」
だが、美友にとっては、おいそれと紫月らに同調するのも躊躇われるわけだろう。少々動揺を見せつつも、
「い、嫌よ……誰があんたたちなんかの為に……」
気丈にもツンと唇を結んで、ソッポを向いてしまった。
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