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第273話

 辺りはすっかり宵闇が降りきって、夜になっていた。倉庫街を抜けると、何やら妖しげな雰囲気に包まれた住居街に出てしまった。そこに住まう者でなくとも、一目で危険な香りを肌で感じさせられる――。かつての九龍城を彷彿とさせるような雰囲気でもあった。 「おい……一体ここ、何処だよ……」 「かなりヤベえって感じだけど……」  氷川も紫月も、自然と背筋が寒くなるといった調子で、互いを見合う。 「おい、あんた――地元だろ? 今、どこら辺にいるのか分かんねえか?」  氷川が美友にそう問う。 「し……知らないわよ……! こんなところ……来たこともないわよ」  まあ、いくら地元といっても、上流社会のお嬢様育ちの彼女だ。こういった場所へは来たことがなくて当然か。 「仕方ねえな。ともかく夜が更けちまう前にここを抜けるっきゃねえか……」  夜といっても、陽が落ちたばかりで時間的にはまだ夕刻といえる。だが、先程の倉庫街からも大して遠くない距離だ。取引相手が到着すれば、皆で捜しに追い掛けて来ないとも言い切れない。かといって、この妖しげな街区を抜けるのも勇気が入りそうだが、ここに留まるわけにもいかない。進むも地獄、戻るも地獄とはこのことか――。  結局、氷川が先導することになって、紫月は美友を連れて後に続くこととなった。 「その前に――あんた、これを被っとけ」  紫月は自らのシャツを脱ぐと、美友の頭から頬被(ほっかむ)りさせるようにして彼女の顔を隠した。 「な……何すんのよ……!」 「いいから、それ被っとけ。あんたのそのカッコは目立ち過ぎる。それに……顔立ちも別嬪(べっぴん)だから、ここいらのヤツに変に目を付けられるといけねえしな」  確かに美友は見た目だけならとびきりの美人だ。着ている物からして見るからに高級だし、浮きまくりだ。 「そんじゃ、行くぜ――」  早足で歩き出すも、明らかに他所者の三人を興味の視線が追い掛けてくる。狭い路地の地べたに腰を下ろしながらうずくまっているような男がジロリと見つめてきたり、はたまた行く手を塞がれるように数人が人だかりになって待ち構えていたりして、何とも居心地の悪いことこの上なかった。  そんな状況に焦ったわけか、足早にし過ぎて、美友が石畳に足を取られてつまずいてしまった。 [キャアッ……!]  見れば、膝小僧と腕が擦り剥けて、血が噴き出していた。高いヒールが石と石の間に引っ掛かってしまったのだろう。 「おい、大丈夫かッ!?」  すかさず紫月が掛け寄り、彼女を抱き起こした。 [痛……ッ……]  ここいらの路面はきちんと舗装もされていない。ゴロゴロとした大小様々の石ころで道はガタガタだ。美友の色白の皮膚は擦り剥けてしまって、血が真っ白なワンピースにまで染みてしまっていた。

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