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第275話
「アタシは……あなたたちを……酷い目に遭わせようとしたのよ? 無理矢理拉致して連れて来て……闇組織に売り渡そうとしたのよ? それなのに……なんで……」
どうして助けたりするの――?
彼女の表情がそう訴えているのが分かった。
「どうしてって……。あんた、遼二の幼馴染みなんだろ? そんなあんたに何かあったら、あいつが悲しむだろうが」
紫月が手当ての後片付けをしながらそう答えた。氷川はそんな二人のやり取りを聞きながら、ここは口を出すところではないと思うわけか、黙ったままだ。
「それに――今はあんたも俺らも同じ立場だろ? 何とかしてこの場から脱出しなきゃなんねえ」
「遼二は……! 遼二は……アタシを許さないわ……。あなたにこんなことしたんだもの……アタシがどうなろうと遼二は悲しむどころか……絶対に許してなんかくれない……」
形のいい小さな唇をギュッと噛み締めて、美友は苦笑した。その表情には全てを投げ出してしまいたいといったような諦めの思いが見て取れる。
「ンなことねえだろ。遼にとってあんたはガキん頃からの付き合いなんだろ? あんたに何かあったら平気じゃいられねえだろうよ」
「そ……んなことない……! あなた、彼を知らないのよ。彼は……いざとなったら冷たいわ。本当は怖い人なのよ。アタシは……それを分かってた……。彼が絶対に振り向いてくれないことも……彼の大事なものを傷付けようとしたものなら、本当に恐ろしい人になってしまうことも」
「恐ろしい人――って何だよ……。あいつはそんなヤツじゃねって」
「いいえ! 彼は本当は怖い人……。そりゃ、彼に対して何も悪いことをしなければ、至ってやさしい人よ? でも――今回のように彼の大事なものを踏みにじろうとしたものなら……それ相応の制裁が待ってる。彼はマフィアの倅よ。一線を越えてしまったら絶対に許してなんかくれないわ……」
膝を抱えて座り込む。涙まじりにそう言う美友を見下ろしながら、紫月は無意識に氷川と視線を交し合った。
「あんたさ――そんだけ分かってて、何でこんなバカな計画したんだよ」それまで黙っていた氷川が、宥めるように横から口を挟んだ。
「……振り向いて欲しかったのよ……。遼二に――、彼に好きな人がいるって言われてショックだったわ。その相手が男性で……一之宮紫月だっていうことを知って、それも衝撃だった。一時の気の迷いかとも思ったわ。だから、紫月を彼の前から消してしまえば……彼がアタシのところに戻って来てくれるかも知れないって思った」
紫月には、美友のそんな気持ちが痛い程分かる気がしていた。何故なら、鐘崎に婚約者がいるらしいということを知った時、同じように苦しい気持ちになったからだ。きっと美友にとっても耐え難い思いだったに違いない。
「でも本当は分かってたの。例え紫月を遠ざけたとしても、遼二が振り向いてくれることなんか絶対にないって……。だって遼二はアタシのことなんか眼中になかったもの……。一度だってアタシに好意を寄せてくれたことなんかなかった。いつも……妹のように接してくるだけで、アタシに恋してくれることなんかないんだって……とっくに分かってた」
「美友……」
「だったらいっそのこと……全部壊れてしまえばいいと思ったわ。アタシの想いが叶わないのに、紫月だけが幸せになるなんて嫌……。紫月には彼をたぶらかした責任をとってもらおうとも思った。男のくせに男をたぶらかすだなんて許せないって思ったの。だから……そんな紫月なんか……売春組織に売り渡して……男に穢されてしまえばいいって……思ったの」
どんなに想っても報われないのなら、いっそ全てが壊れてしまえばいい――。切なく苦しい彼女の想いは、次第に憎しみへと変わってしまったのだろうか。
美友の瞳からは滝のような涙があふれ出し、号泣状態だった。
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