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第277話

 と、その時だった。たった今、走って来た道筋から、ザワついた数人の足音と叫び声が聞こえてきた。どうやら追手のようである。 「クソッ、取引相手ってのが到着したわけか!? あいつら、追って来やがった……!」 「やべえな……。すぐに逃げよう。美友、傷の方は大丈夫か!?」  氷川が後方の様子を探る傍らで、紫月は美友の怪我を気に掛けていた。 「一之宮、猶予はねえぞ! すぐにここを離れよう」  通りの向こうにも酔っ払いやら厄介な連中がいそうだが、追手に掴まるよりはまだマシだろう。 「分かった、すぐに行こう。美友、その前に靴を脱げ!」 「え……!?」 「さっき転んだ拍子に痛めちまったろ」  見れば、なるほど片方のピンヒールがグラグラとして今にも折れそうになっていた。紫月は美友の十センチはありそうなそれを脱がすと、勢いよく地面に叩き付けて、両方のヒールの部分をへし折った。 「これで少しは歩きやすい。万が一、俺と離れることがあっても走ることも可能だ」  紫月は再び背中を差し出して、美友におぶさるように言うと共に、もしも戦闘態勢になることがあっても、彼女が動きやすいようにと配慮をしたのだった。  美友の方も、そんな紫月の気遣いが分かるから、今度は素直に自ら背中におぶさる。 「よし! そんじゃ、突っ走るぜ!」  氷川が先導役となり、紫月と美友を守りながら走る。だが、あっという間に追手も迫って来て、屋台にいた酔っ払いたちも興味ありげにこちらへと寄って来る……。まるで行く手を塞がんとばかりに人だかりで壁を作られてしまい、三人は行き場を失ってしまった。 [……ッ、退け! 退いてくれ! 頼む、通してくれ!]  氷川が現地の言葉でそう叫ぶも、野次馬たちはまるで聞く耳を持たないようだ。それどころか、面白いとばかりに、追手に加担する勢いだ。  何とか狭い路地に逃げ込んだものの、まるで迷路のような繁華街の裏手だ。どこをどう走ればいいのかさえ見当も付かない。 「仕方ねえ、一之宮! 俺がヤツらをせき止める! お前はその女を連れて逃げろ!」  迫り来る追手に立ち向かわんとする氷川だったが、紫月が彼を置いて逃げられるわけもなかった。 「バカ言ってんじゃねえ! てめえを置いていけるわけねえだろが!」  こうなれば一先ず美友を下ろして二人で対戦するしかない。 「美友、ちょっとの間、我慢してくれ! そこら辺の物陰に身を隠してるんだ!」  紫月も共に闘わんとした――その時だった。路地に銃声が鳴り響いた。  立て続けに二発、三発と、凄まじい音が背筋を凍らせる。追手が銃を放ってきたのだ。美友などは、狂気のような叫び声を上げながら呆然状態だ。 「ッ……!? 危ねえッ! 美友、伏せろッ……!」  咄嗟に彼女を庇わんと紫月が抱き寄せたと同時に、またもや数発の銃声が鳴り響いた。 「一之宮――ッ!」 「氷川……!」  互いに手を伸ばし合いながら、これまでかと覚悟を決めた。ギュッと瞼を閉じ、二人で美友を挟むように身を寄せる。まるで切り取られた絵画のように時が止まった――。

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