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第291話

 その後、范家のたっての希望で、皆に迷惑を掛けたお詫びにと、彼らの経営する高級ホテルで数日を過ごすこととなった。美友の父親である范氏からその意を聞かされた時はどうしたものかと迷ったのだが、彼らの気持ちも汲んで、結局厚意を受け入れることにしたのだ。  鐘崎と紫月は勿論のこと、氷川らや僚一に飛燕、そして源次郎ら側近の者たちまでが招かれて、ホテル最上階のワンフロアを貸し切りで接待を受けた。各部屋はすべて最上級のロイヤルスイートタイプで、ペントハウス専用のプールもあり、一同は思い掛けず水入らずの一時を満喫したのだった。  また、その間、僚一は息子の鐘崎遼二と共に永い間世話になった香港マフィアの頭領である煌氏の元を訪れ、裏稼業を離れて日本へ帰ることを告げた。  煌氏はいたく残念がったが、いずれ二人が故郷である日本に戻ることを予測していたようで、快く送り出してくれたのだった。 ◇    ◇    ◇  そうして紫月らが香港を発つ日、美友が空港まで見送りにやって来た。 「美友! 来てくれたのか!」  その姿を見つけた紫月が喜んで彼女に駆け寄る。鐘崎と氷川はちょうど搭乗手続きの最中だったのでその場にいなかったが、冰や帝斗、綾乃木らは一緒だ。美友は今一度、皆に向かって深々と頭を下げた。 「な、美友――ちょうど良かった。今度あんたに会えたらさ、言おうと思ってたことがあって……」  紫月が少々照れつつも、頭を掻きながら言う。 「アタシに?」 「ああ、うん……。上手く言えっか分かんねえけど……」  紫月は思い切ったように深呼吸をすると、美友に向かってこう言った。 [俺と……友達になってくれないか?]  その言葉に美友は酷く驚いたようにして瞳を見開いた。内容は勿論のこと、紫月が広東語でそう言ったからだ。 「紫月……あなた……」 「あー、えっと……ちゃんと通じた? やっぱ、すげえ難しいな」 「ううん、とても上手よ。ちゃんと通じたわ」 「マジ!?」 「ええ。とっても嬉しいわ。アタシなんかでよければ……是非」  美友も感激の面持ちで頬を染める。 「そっか! 良かった! あ、それからもうひとつ!」 「もうひとつ?」  不思議顔で首を傾げた美友の前で姿勢を正すと、紫月はまたもや広東語で言った。 [キミの幸せを願ってる]  ひと言目よりもたどたどしい広東語だが、一生懸命にそう言った紫月に、美友は思わず瞳を細めた。 「紫月――ありがとう。ありがとう、本当に――」 「ん――。なんか下手くそでゴメン。これでも結構練習したんだけど……。けど、どうしてもあんたの国の言葉で伝えたくてさ。遼に教えてもらったんだ」 「遼二に?」 「ん――。けど、やっぱすげえ難しいや。こんだけ覚えるのがやっとだった」  恥ずかしそうに苦笑する紫月に、美友は感激の面持ちで微笑み返した。 「ね、紫月。じゃあ、アタシからもあなたに特別な言葉をひとつ教えるわ」 「特別な?」 「ええ。その代わり、この言葉は遼二以外に言ってはダメよ?」 「遼にだけ……?」 「そうよ。いい?」 「ん、分かった。遼にだけ言えばいんだな?」  一体どんな言葉なのだろう。期待と不思議が入り混じったような表情で首を傾げる紫月の様子が可笑しかったのか、彼女は少し悪戯そうに笑うと、意味ありげに耳元に唇を寄せながら言った。 「ウォーアイニー」  いきなり抱き付くようにしながらそう囁いた彼女に、紫月はポカンと不思議顔だ。 「ウォー……アイニー……? それってどういう意味なんだ?」 「ふふ。それは遼二に言えば分かるわ。きっとすごく喜ぶはずよ」  クスクスと美友は笑う。その笑顔は朗らかで、最初に会った時とは全く印象が違うくらい穏やかでやさしい表情だった。

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