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第29話

「本物の残月には柄の目貫《めぬき》部分に月を象《かたど》った黒曜石が埋め込まれているはずです。それが『朔』を表すのだとか……。対となる女刀の鞘《さや》の鵐目《しとどめ》部分には同じ形の夜蝶貝がほどこされていて、こちらは『望』を意味するのだと。望とはつまり新月の逆である満月――。『黒曜石』と『夜蝶貝』を向き合わせにすることで互いを映し出し、淡い満月が浮かびあがるように見えるのだそうです。報われない愛の苦悩をそんなささやかな形でまっとうしようとした想いが込められてつくられた刀なのだと――」 「キ、キミ……それを……どこで……」  随分と稀少な話をよく御存じだという感心からなのか、とにかく紫月の父親はこの上なく驚いたといった表情で、しばらくは瞬きひとつままならずに硬直状態を崩せない。震える手に携えられた刀の柄には確かに黒く光る石がはめ込まれている。それが黒曜石であるかどうかは定かでないにしろ、だが鐘崎の意味ありげな視線と、妙に自信に満ちた口調は、まるで『あなたが持つそれが本物の残月でしょう』といわんばかりにも受け取れる。  驚き立ち尽くす父親をはじめ、剛や京も同様、紫月に至ってはそれこそ『珍しいものでも見るような目つき』で鐘崎を凝視していた。  だが次の瞬間、ふっとその緊張の間合いを解くとでもいうようなやわらかな笑顔で、 「実は俺の父も日本刀が大好きでして。子供の頃からよく話を聞かされていたものですから」  今までの雰囲気から一八〇度転換したように、あっけらかんと微笑まれた鐘崎の表情に、皆の硬直が一気に崩れた。 「あ――、そうなの」  眉間の冷や汗を拭いながら紫月の父親がそう言えば、 「なーんだ! すっげーなー! ならやっぱお前の家って超金持ちってことじゃね? だってそうだろ? 趣味が日本刀ってさ、もしかしてコレクションとかもしてるってことかよ?」 「マジッ!? やっぱ香港の大富豪ってか?」  剛と京が興奮ぶり返すといった調子でそんなふうにはやし立てた。 ◇    ◇    ◇  悪友たちが帰って行った後、見事な程の宵月が東の空に顔を出した縁側で、紫月は父親の背を見上げながら一服をしていた。 「おいこら、紫月! 煙草はよせって言ってんだろーが! お前、まさか他所でも吸ってんじゃあるめえな?」 「はあ? 何、今更……」 「……っ、まあいい。それよりさっきの友達――」  そこまで言い掛けて、ふと言葉をとめた。  紫月は不思議そうに父親を見やると、悪気のなく堂々と煙を吐き出しながら、 「鐘崎って野郎のことかよ? そういやアイツ、妙に刀なんかに詳しかったよな? 道場見たいって言い出したのもヤツの方からなんだけどさ、そーゆーのに興味あったってわけか。……つか、何かヤバかった?」  連れて来たことで何か気まずかったか――とでも訊きたげに紫月が首を傾げた様子に、父親の方はフイと微笑むと、 「いや、何でもない。また良かったらいつでも遊びに来るように言ってくれ」  そう言って宵空を見上げた。そんな父の様子を紫月は不思議そうにしながらも、格別にはこれ以上話すこともないので自室へと引き上げることにした。  それにしても、鐘崎の言っていたのは何だったというのだろう。 「夫婦刀の由来がどうとか抜かしてやがったよな?」  まるで父の持つあの男刀には悲恋の相手である女刀が存在する――とでもいうように聞こえるではないか。  忍びの恋を指し示すが如く『忍びの刀』だと?  何ともむずがゆいような言い伝えは、おおよそ刀には似つかわしくない甘夢幻想に思えて仕方ない。しかもそれを説明する際の自信満々なあの言い草は何だ。 「てめえは鑑定士かっつーの!」  まったくもってワケが分からない上に、ちょっと考えただけで頭がこんがらがりそうだ。  それにしても、自分の家にそんな曰くありげな貴重品があるなどとは知らなかった。  転入生の鐘崎の為にそんな代物を見せてくれた父親には感謝すれども、今の今まで聞いたことも見たこともないような家宝の存在に、紫月はどうにも不可思議な感がしていた。しばしは、鐘崎に対する一目惚れの悩みを忘れてしまうくらいの心持ちで床についたのだった。

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