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#2
「まだ、残ってるね。大丈夫?」
僕が.....言うのもはばかられるくらい......変なあだ名を付けたこの人は、僕の手首にまだ少し残る紫色の跡に、優しく唇を落とした。
「この間は、すみませんでした」
「気にしないで。
本当は次の日にでも会いにきたかったんだけど、エメラルドが怖がったらイヤだし......。
もう、大丈夫?」
「はい。ご心配をかけてしまって.......本当に、すみません」
「君が悪いんじゃないから。.......なんで、かな.....こんな綺麗な人に、こういう酷いことをするんだろう.......。
まぁ、俺も初対面でエグいことしてるから、そんなこと言えた義理じゃないけどさ」
その人はバツが悪そうに鼻をかいて笑う。
なんだか、あまりにその姿がかわいくみえて、つられて僕まで笑ってしまった。
.......客と、こんな風にしゃべったのって、初めてかも。
名前も素性も知らないから、目が合って、にっこり笑ったら。
キスをするか、肌を重ねるか。
しゃべる、そんな暇さえない。
「今日はこの間のお詫びをしますから.........なんでも言ってください」
「ねぇ」
「なんでしょう」
「あだ名で呼んでよ」
「..........えっ....」
「せっかくエメラルドがつけたんだから、ちゃんと呼んで?」
「..........あ、れを?......本当に?」
「なんでも言っていいって、言ったよね?」
「..........はい」
「ほら、早く」
「...........す、.....スパーク」
スパークと呼ばれて、その人はとても嬉しそうに笑って........僕をベッドに押し倒した。
「よくできました、エメラルド。
今日は、めずらしいお酒を持ってきたんだけど.......。
一緒に飲まない?」
口移しで飲まされたそのお酒は、甘くてスッとした喉ごしなのに、お酒が通った体の中が燃えるように熱くなる。
「.....んっ!........っあ....熱い......」
「〝百年の孤独〟って言うんだけど、40度くらいある強いお酒だから。
エメラルドに喜んで貰いたくて。ようやく手に入れたよ」
胸に滴るお酒の強い香りと、僕の体に入っていったお酒の熱さで、僕はあっという間にできあがってしまった。
体を這う舌の感覚で、呼吸が乱れる。
下から直に注がれたお酒の熱さが、僕の中を貫く熱さをさらに倍増させて、何回もイッてしまう。
「.....や........らぁ.......」
「.....エメラルド......俺を呼んで.......」
「.........ス...パー....ク.........な、んで?」
混濁してきた意識の中で、僕はどうしてもこの人に聞きたいことがあった。
「何?エメラルド」
「........なんで.........名....前.......呼ば.....れるの、好.......きな....の.........?」
「知りたい?」
僕は、スパークの首に手を回して頷く。
「名前って、素敵じゃない?
本名にしろ、あだ名にしろ。
特別な人に呼ばれたらなおさら。
呼ばれただけで嬉しい。
その人を独占した感じがして。
君はどう?〝エメラルド〟って言われるの、嬉しくない?」
その、その言葉に.......。
混濁してきた僕の意識が一気に、覚醒した気がした。
本当の僕を忘れてしまっている僕にとって。
少しでも長く〝エメラルド〟って存在にしがみついて、〝エメラルド〟にこだわっていたのは僕で。
誰でもよかった。
僕を必要として、僕のことを呼んでくれる人がいれば、誰でもよかったんだ。
例えそれが一回限りの人でも。
僕を乱暴に傷つけた人でも。
僕が今、ここにいて、ちゃんと存在していることを確認したかったんだ。
「エメラルド」って、呼んでほしかったんだ。
「どうしたの?!エメラルド?!
なんで、泣いてるの!?俺、何か変なこと言った?!」
僕はいつの間にか、泣いていて。
そのまま、スパークにしがみついて、ボロボロ泣いてしまった。
この人は、スパークは、きっといい育てられ方をしているに違いない。
だから、こんな当たり前のことを僕に気付かせるように教えてくれるんだ。
「違う......違う.......から.......。
僕が、一番欲していたことを言われた........。
ただ、それだけ.......それだけなんだ」
スパークは、僕を優しく抱き上げると耳元で囁く。
「大丈夫。
いくらでも、エメラルドって俺が呼んであげる。大丈夫だから、泣かないで」
僕は、客に、拠り所を求めてしまった......。
きっと、館長に見られてる。
裏切ったって、思われてるハズ。
今を渇望してその願いが叶ったと思ったのに、僕はその全てを失ってしまったような気がして。
スパークに喘がされながらも、胸に巣作った嬉しさと苦しさで。
余計、涙が止まらなかったんだ。
「エメ、なんで泣いてたの?」
「.......だ、から.....お酒に.......酔って.......」
「本当に?」
「.......ほ....んと....本当....だから.......。
だから.....これ、とって。........お.....願い」
館長は優しく笑っているのに、その目は怒っているかのように鋭い。
僕はリボンで後ろ手に縛られていて。
胸の小さな膨らみをクリップで止められて.......館長の上にのって下から突かれる。
動かされるたびに、痛くて、恥ずかしくて........。
でも、どうすることもできなくて、涙が頬を伝う。
「お客様の名前、聞いてないよね?エメ」
「......名....前なんて.......知ら.....ない」
「エメ.......。信じていい?」
「お願......い.....。信じて.......。信.....じて」
もう、本当にキツくて.......。
名前を知らないのは、本当だから、早く僕を解放してほしくて。
痛さと下から突かれる刺激で、僕はもう限界で........。
僕の体は大きくグラついた。
「わかったよ、エメ。信じてあげる」
館長はグラついた僕の体を支えて、いつもの優しい目で僕を見つめる。
そして、僕の胸についていたクリップをそっと外す。
「痛かったね、エメ。
エメにはアゲートみたいになって欲しくないから、キツめにお仕置きをしてしまった。
わかってくれたかな?」
僕は館長に体を預けて、小さく頷いた。
涙は止まらないし、息が上がって呼吸は乱れるし。
お酒が残っているからなのか、体を甚振られていたせいなのか、頭がぼんやりしてうまく思考が回らない。
「あのお客様は、別なコにまわそうね。エメ」
「.......うん....」
僕の返事に気を良くした館長は、僕に唇を重ねて舌を絡ませる。
そして、また僕を下から突き上げた。
「......んぁ......やめ.....や......やぁ......も...ゆるして.......お.....願い」
「私が忘れさせてあげるよ、あのお客様を。
もう、思い出さないように。
上書きしてあげる」
館長は僕を縛ったまま、また、強く犯し始めた。
.......2つも手には入れられなかった。
僕の名前と、僕が名前をつけた特別な人と。
贅沢だったんだ。
僕の名前を守るかわりに、僕は、僕が名前を呼べる唯一の、特別な人を失った。
多分、もう、こんな経験は2度とない。
2度とできない。
.......ちゃんと、さよならくらい、スパークに言いたかったな.....。
叶わない全てのことを心の隅に封印して、僕は館長に上書きされるんだ......。
それからしばらくは、趣味に偏りのない客とばかり、僕は肌を重ねていた。
いたってノーマルな、優しい客。
それ以上でもそれ以下でもない、記憶に残らないような......優しい客。
館長が気を使ってくれているのかもしれない。
それでも、館長は僕のメンテナンスを怠ることはなく、客以上にハードなメンテナンスを行うから、たまにどっちが客なのかわからなくなる。
きっと、あの人を......スパークの記憶を僕から一刻も早く消したいがため、館長は僕を激しく抱いているんだ。
「昨日、ボク、エメのお客様だった方のお相手をしたよ」
シャワーを浴びていたら、隣にいたトパーズが壁越しに僕に話しかけてきた。
「.........そう」
「しきりにエメのことを気にされていたよ?」
「.........そう」
「今度、お相手をすることがあったら、何か伝えること、ある?」
「.........ないよ。僕はいなくなった、って言っててくれる?」
「エメ、それでいいの?」
「うん。ありがとう、トパーズ。僕のことはしゃべらないで。........みんなにも、伝えてもらえないかな?トパーズ」
「.........わかったよ、エメ」
トパーズは優しいからなぁ......。
きっと、あの人の願いを叶えてあげたいって思ったんだろう。
あれ以来、心にずしっとくるような名前の呼ばれ方をしていないから。
僕からどんどん〝エメラルド〟って名前が剥がれていっている気がして。
根無し草のように、フラフラ漂っている感じがして.......。
もう、消えてもいいかな?.....なんて、思ってしまっている。
あれだけ、消えるコトが怖かったのに。
あれだけ、名前に執着していたのに。
そもそもの僕のアイデンティティは無いに等しいから、うわべだけを取り繕った仮の名前なんて、定着しないに決まってる。
その程度だったんだな、僕って。
「エメラルド」
フラフラ回廊を歩いていたら、キレイな声で僕を呼ぶ声がした。
あたりを見回してもそこには誰もいなくて、空耳だと思ってその場を立ち去ろうとした時、足元に小さな青い花が咲いているのを見つけた。
これ、この場所ー。
「サファイア」
たまらず口にした名前......。
思い出した.......。
僕がここに連れてこられて、〝エメラルド〟って名前をもらった日。
儚げに優しく笑うサファイアが、ここに座っていたんだ。
「エメラルド、いい名前だね。君にピッタリ」
「あなたは?」
「サファイア」
「あなたこそ、名前に負けず劣らずで.......。
すごくキレイ」
サファイアは僕を見て、照れたようににっこり笑った。
「ここで暮らすなら、本当の名前は忘れた方がいいよ。
そうしないと、狂ってしまうからね」
「........ここは、そんなに苦しいところ?」
僕は一気に不安になってしまった。
サファイアは立ち上がるとそんな僕をギュッと抱きしめる。
「たまにはいいこともあるよ。
でもそれは一過性のもの。惑わされちゃいけない。ここにいる限り、たまに起こるいいことに期待したらいけない。
生きていたいなら、好きとか、愛だとか、そういうプラスの感情は捨てるんだ」
そう、僕に諭すようにいったサファイアの笑顔は、とても穏やかで、幸せそうで.......。
いいことがあった顔をしていたから、僕はそのまま、それをストレートにサファイアに伝えたんだ。
「サファイアは、今、すごく幸せそう。どうして?」
僕の問いにサファイアは驚いたように一瞬目を見開いて、そして、この上ないってくらい幸せそうに笑った。
「もうすぐ、ここからでるんだよ。
やっと、やっと、色んなことから解放されるんだ。
エメラルド、君とこうして話をするのも最後かもしれない。
だから、最後にお願いをしていいかな?」
「僕で........僕で、よければ」
「エメラルド、君が生きている間だけでいい。
僕のことを覚えていて。
僕の顔や声......全部を覚えていて。
お願いできる?」
「はい。大丈夫です」
サファイアは僕の言葉を確認すると、もう一度、ぎゅっと僕を抱きしめたんだ。
それから、ちょっとして。
サファイアが客と無理心中をした。
ここからでる、ってこのことを言ってたのかって初めて合点がいった。
それからだ。
客の名前を聞いたり、知ったりしたらいけなくなったのも。
プレイルームに監視カメラが設置されるようになったのも。
当時の僕には、あまりにも切なくて、苦しくて。
僕の本当の名前ごと消し去ってしまいたくなる出来事だったんだ。
今の今まで、サファイアのことを忘れていたなんて........。
サファイアに申し訳くて........。
僕はその小さな青い花の前で、しゃがみ込んで泣いてしまっていた。
「サファイア.........今なら、あなたの気持ちが痛いくらい、わかるよ」
........その時、僕の中で、何かがふっきれた感じがしたんだ。
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