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『今日はなんの日(番外編)』ハロウィン side大和

 鏡に映る自分の顔を何度も確認する。  正確には見慣れない髪型をあらゆる角度から見たくて横を向いたり下を向いたりを繰り返した。 「気に入った?」  後ろに座っていた母さんがヘアブラシとワックスを手にしたまま俺の顔を覗き込んだ。 「うん。かっこいい」 「だね。今日は大和、かっこいい吸血鬼さんだね」 「いおりは? いおりもキュウケツキ?」  椅子から立ち上がり、くるりと体ごと振り返る。  母さんは俺にマントを装着させながら「うーん、どうだろう?」と顔を傾けた。 「お母さんもまだ知らないんだよね」 「そっか」 「だから楽しみにしておこう。きっと伊織くんならなんでも可愛く着こなしちゃうでしょ」 「あ、いけないんだ」  母さんの言葉に俺はすかさず声を上げる。 「え」 「かわいいって言ったらいけないんだよ」 「え、なんで?」 「だって、いおりは」  ピンポーン。  母さんに文句を言おうと口を開いたのに、最後まで言い切る前にチャイムの音が家の中に響いた。  母さんはドアの方へと一瞬振り返り、すぐに俺の方に顔を戻すと優しく笑った。 「伊織くん来たんじゃない?」  まだ言い足りないと構えていたはずなのに、俺の用意していた言葉はあっさりと入れ替わった。 「早く開けにいかないと!」  俺は再び響いたチャイムの音にせかされるように廊下をダッシュした。 「ストップ」  靴下のまま降りようとした俺の腕を母さんが掴んだ。  風に乗っていたマントの裾がふわりと膝裏におちてくる。 「そのまま降りちゃダメっていつも言ってるでしょう?」 「はあい」  母さんは俺をその場にとどめて手を離すと、サンダルに足をのせた。  パタパタという足音に重ねて「はーい」とドアの向こうに声をかける。 「こんにちは。椿です」 「こんにちはー」  母さんの声がいつもとは違う色に変わる。  家の中とは違う、外にいる時だけ使われる声。  ドアが開くと、外の明るさが一気に流れ込む。  差し込んで来た日差しの眩しさに俺はきゅっと目を細めた。 「わー、すごい。オオカミさんだ」  母さんの弾んだ声が聞こえてきて、俺はゆっくりと視界を広げる。  最初に目に飛び込んできたのは三角の大きな耳だった。  いおりの柔らかい髪の上、灰色の毛で覆われた耳が二つのっている。  外側は濃い灰色だけど中の方は白に近い灰色。  うちにある犬のぬいぐるみより長い毛。  ふわふわと柔らかそうで俺は思わず手を伸ばしていた。  普段の身長はほぼ変わらない俺たちだけど、今は玄関の分の段差がある。  俺の手はあっさりといおりの頭の上に届いた。 「わ」  いおりが丸い目をさらにまるくさせて、俺を見上げる。  俺は気にせずその耳の感触を確かめようと指を動かす。 「ネコみたい」  最初に出てきた感想はこれだった。  犬のぬいぐるみを思い浮かべたけれど、ちょっと違う。  温かくはないけど。  でも、これはあの時のネコみたいだ。    *  三日前、幼稚園の休み時間にかくれんぼをしていたとき。  俺といおりは花壇の陰に寝そべるネコを発見した。  ゆるく丸まった体に日向と日陰の両方を映している。  周りを見渡してみたが、俺といおり以外には誰も気づいていない。俺たちは「しーっ」と人差し指を口に当ててそっとその場にしゃがみこんだ。  ネコは薄く目を開けたけれど、逃げようとはしなかった。  俺といおりは恐る恐る手を伸ばして、ゆっくりと上下に呼吸をする体に触れた。手のひらから伝わってくる柔らかな感触。生き物の確かな体温。ネコの動きに合わせて自然と俺たちの呼吸も重なる。俺といおりが触っている間、ネコはずっとその場に寝転がっていてくれた。    *  俺の言葉にもう片方の耳を触ったいおりが「ほんとだ」と笑った。 「ネコ? ネコに見えるかしら?」 「ネコじゃなくて、オオカミでしょ」  いおりのお母さんと、俺の母さんがそんなことを言っていたけれど、俺といおりは「ネコだよな」「ネコだよね」と声を合わせて笑った。  見た目じゃなくて。  触ったらわかる。  理由はうまく説明できないけど、いおりも同じように思ったなら、きっと間違ってはいない。そう言おうかとも思ったけど、俺といおりだけがちゃんとわかっていればいい気がして、俺もいおりもずっとクスクスと笑っていた。  商店街へと向かう道の途中、俺はずっと気になっていたことを聞いた。 「それ、しっぽ?」 「うん。ズボンにくっついてる」 「ふーん」  チェックのシャツに青のオーバーオールを着た、いおりの後ろ。  お尻のあたりから頭の耳と同じ灰色の太いしっぽが出ていた。  さっきの耳みたいに柔らかいのかな。  歩くたびに揺れるそのフサフサに俺は触れてみたかった。  だけど、俺の両手はふさがっている。  右手はいおりの手を掴んでいて、反対の手はこれからお菓子を入れるためのカゴを持っている。  どうしようかな、とキョロキョロしながら歩いていたら、いおりの手がさっきよりもきゅっと硬くなった。 「やまとはマントかっこいいね」 「だろう? 俺は、今日はかっこいいきゅうけつき、だからな」 「きゅうけつき?」 「そう、きゅうけつき、なんだ」  とっても言いづらいけど、口にしてみるとそれだけでかっこいい気がして、俺の足は自然と速くなった。  商店街のアーケードが見え始めると、俺たちと同じように仮装した子どもたちがいっぱいいた。 「よし。じゃあ、お母さんたちはここで待ってるから、二人で行っておいで」  そう母さんに言われて、俺たちは顔を見合わせた。  幼稚園や公園、家の中ではふたりだけで遊ぶけど。  だけど、外の、それも商店街でふたりだけというのは初めてだった。 「ふたり?」  不安そうないおりの声。  今度は俺がつないでいた手にきゅっと力を入れた。 「そう、伊織と大和くんの二人だけでお菓子をもらってくるの」 「おかし」 「トリック・オア・トリートってちゃんと言うのよ」 「とりっく、おあ、と」  いおりは顔をうつ向け、覚えたばかりの言葉を口の中で練習している。  俺はそんないおりの手をそっと引いた。  いおりの顔がパッと上を向く。  大きな耳がぴょこっと揺れて、いおりの丸い瞳が俺の顔を映す。 「いおり、行こう」 「うん」  母さんたちに手を振り、俺たちはふたりで黒とオレンジと紫の三色が溢れ返る商店街の中へと歩き出した。  ――最初はよかった。 「とりっく、おあ、とりーと」  意味はわからないけど、これはきっとお菓子がもらえる魔法の呪文なのだろう。これを言うだけで魔女のお姉さんも、海賊のお兄さんも、みんなお菓子をくれる。  持っていたカゴはあっという間にいっぱいになった。  ――だけど。 「あら、かわいい」 「かわいいオオカミさん、はいどうぞ」 「うしろ姿もとってもかわいいのね」  そういおりが言われるたび。  俺の中にあった楽しかった気持ちは、どんどん減っていった。  だっていおりは笑うのだ。  ちっとも嬉しそうじゃないカオで。  本当はイヤなのにイヤって言わない。  俺たちがお菓子をもらうための魔法の呪文を使うたび。  大人たちも呪文のようにいおりに同じ言葉を言ってくる。 「吸血鬼さん? 髪型も決まっていてステキね」 「あら、かっこいい」  俺にはそう言うのに。  なんで、いおりには「かわいい」なんだよ。  かわいいってなんだよ。  いおりは「かわいい」んじゃない。  本当は誰よりも「かっこいい」のに。    *  この間の劇の練習だってそうだ。  白雪姫役の女の子が風邪でお休みだったから、その代わりを誰かがやらなくちゃいけなくなった。  俺は王子役だったからその話し合いには参加しなかったけど。  でも、みんなやりたくないって顔をしていたことだけは覚えている。  男子しかいなかったから当然といえば当然なんだけど。  そんな中でいおりはあっさりと「僕がやる」と言って手を挙げた。  先生もみんなも、いおりの言葉にホッとした顔をしていた。  女子の誰かが「いおりくん、かわいいもんね」と言っていたけど、俺は全然違うと思った。  いおりはかわいいからやるんじゃない。  かっこいいからやるんだ。  だって、みんなが困っている時に助けるのは「かっこいい」ヒーローのはずだから。    *  いおりが頑張って笑う横で、俺はどんどん不機嫌になっていった。  かわいい、といおりが言われることだけじゃない。  劇の練習の後のいおりの全く気にしていないという顔を思い出したのもある。俺はよくわからないけど、とてもショックだった。 「やまと? どうしたの? おなか痛い?」  いおりが心配そうに俺の顔を覗き込む。  灰色の大きな耳と一緒に、いおりの前髪も揺れた。  その瞬間、俺はひらめいた。 「いおり!」 「なに?」 「ちょっと来て」 「え」  俺はいおりの手を引いてパン屋さんと薬屋さんの間にある細い道を進んでいく。ここはいつも行く公園への近道だ。 「やまと、商店街出ちゃうよ」 「大丈夫だよ。ちょっとだけだから」 「でも」  不安そうな声でいおりは言ったけど、俺の手を離すことはしなかった。 「俺がいおりをかっこよくさせるから」 「かっこよく?」 「うん。すっごく、かっこよく!」  そう言って俺が笑うと、いおりもようやく一緒に笑ってくれた。  俺には作戦があった。  オオカミの格好をしているいおりが「かわいい」で、きゅうけつきの格好をしている俺が「かっこいい」なら交換すればいい。  いおりをきゅうけつきにする。  俺はオオカミでもかっこいいはずだから問題ない。  だって、今日の髪型はいつもとは全然違うのだから。  そう、大事なのは髪型だ。  いおりも俺と同じ、おーるばっくにすればいいのだ。  そのために必要なワックスを俺はポケットに入れている。  母さんが置いていこうとしたのをこっそり持って来たのだ。  だってかっこいいのが崩れたら大変じゃないか。  見慣れた公園にたどり着いた俺たちは早速着ていたものを交換した。  変身は誰かに見られるとまずいので、茂みの中で隠れておこなった。  尻尾のついた、いおりのオーバーオールを着た俺は自分がつけていたマントをいおりに装着させる。  紐を結ぶのが難しかったけど、二人で力を合わせたらなんとかできた。 「わあ、ありがとう」  黒いマントをくるくると揺らして、いおりが嬉しそうに笑った。  俺はそれだけで大仕事を終えたような気持ちになったけど、大事なのはこの先だ。  かっこいい髪型になるワックス。  ポケットから取り出し、蓋を開ける。  ニベアみたい。  母さんが冬になると使っているハンドクリームを思い出しながら、俺は指ですくう。  ペッタリとした感触は慣れなくて、ちょっと気持ち悪かったけど、今朝の母さんの様子を思い出して自分の両手につける。  ベタベタと手のひらに広がったら、いよいよいおりの髪へと手を伸ばす。 「いくぞ」 「うん」  いおりが少し下を向いて俺の方に頭を向ける。  べた、べた。  これでいいのかな?  とりあえず柔らかかったいおりの前髪を後ろへと持っていく。  ワックスはちゃんかたくなって形をとどめてくれた。  うん、カンペキ。 「できた?」 「うん、できた」  いおりが大きな瞳を真上に向ける。  当然だけど、いおりからはかっこよくなった髪型が見えない。 「見にいく?」 「うん」  変身の時間は終わった。  俺たちは自分たちの姿を確認するべく、公園内のトイレへと向かった。

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