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第59話 邪神の花嫁

※主人公視点に戻ります ---------------------------  僕の限界が近づいていた。  僕は確かに自分が崩壊に向かっていることを感じていた。    ヨアヒムは懸命に僕を誘惑した。  時に甘い言葉をささやき、時に罵倒して脅し、時に涙を流し。  ヨアヒムは手足のない僕を抱きしめて泣いた。 「なぜっ……!なぜあいつの名を呼び続けるんだ。お前は私の花嫁だ。千年前も二千年前も、そのはるか昔から、ずっと私の花嫁だったはずだ!」  ヨアヒムは僕を殺せない。  なぜなら僕は「花嫁」だから。  この世界の僕の体には、男なのに子宮があるらしい。  僕は、邪神の子供、つまりヨアヒムの「次の体」を生むことができる唯一の存在だそうだ。  ヨアヒムは千年に一度、新しい体に生まれ変わる。  千年に一度再生される<花嫁>に子を生ませ、子の体に自らの魂を入れる。  その千年サイクルの生まれ変わりにより、邪神ヨアヒムは強大な力を保持してきた。  でも千年前、<勇者>が現れた。  供物に過ぎない転生者の中から、とてつもない力を持つ者が現れ、ヨハヒムは勇者との戦いに敗れた。    そして花嫁を奪われた。  ヨアヒムは転魂の儀式ができないまま、古い肉体で千年の時を過ごした。  力を失った邪神は人心を失い、この世界は邪神を崇拝することをやめた。  忘れられた邪神は、この背徳の街で崇拝者の残党に囲まれながら、じっと次の花嫁の再生を待っていた。  そしてついに、僕と言う花嫁がやって来た。  ヨアヒムは痛いくらい僕を抱きしめながら泣き言を続ける。 「辛いだろう?苦しいだろう?抱いて欲しいだろう?お前が私に一言、抱かれたいと言ってくれれば、私はお前を楽園に連れて行ってやる。誰も見たことのない至上の楽園に。他の転生者もいらない、もう時空の穴は閉じる。そしてお前に永遠の命を与えよう、お前一人を愛そう。だから私を見てくれ、お前の夫だ、我が花嫁よ」  僕はその泣き言を、他人事のように聞く。  その、千年に一度花嫁として再生する魂と言うのは、本当に僕のことなのだろうか。  それにしては、まるでヨアヒムに情が沸かない。  憎しみしか沸かない。  僕には分かる、ヨアヒムが過去の花嫁たちにしてきた酷い仕打ちを。  もしかしたら過去のどこかの時点で、この魂はヨアヒムを愛していたのかもしれない。  愛が憎しみに変ったのだとしたら、きっとその原因はヨアヒムにある。  僕はうつろな瞳でヨアヒムに告げる。 「僕はもう、ヨアヒムの花嫁じゃない……。ヨアヒムは、僕じゃない誰かを愛さないといけない……。だからもう、僕の魂を呼ばないで……」  ヨアヒムは言葉を失い、僕をまじまじと見つめた。その瞳が激しく揺らいでいた。  ああ、傷ついているのだ、と僕は思った。  いままでいっぱい、ヨアヒムに悪口を言ったけど、今の僕の言葉が、最もヨアヒムを傷つけたようだ。  その時僕の全身、毛穴と言う毛穴の奥から、何かが吹き出そうとせり上がってくる感覚がした。  そうか、決壊か。  やっと決壊の時が来たんだ。  ヨアヒムが涙を流しながら首を横に振る。 「いやだ……。私はお前を愛している……」 「駄目だよ、この魂はもう永久にヨアヒムを愛さない、何度生まれ変わっても。僕には分かるんだ。だからもう、終わりにしよう。僕達は二度と会ってはいけない……」 「いやだ……!」 「君は、別の誰かを愛するんだ……。さよなら、かつての、僕の夫……」 「っ……!」  ヨアヒムは絶望と悲しみの表情で僕を見つめている。  ヨアヒムの、飾り物のように不動だった額の目から、初めて涙がこぼれ落ちた。  少しだけ、ほんの少しだけ、初めて僕は、ヨアヒムに情を感じた。  かすかな、哀れみを。  僕の体がガクガクと震えだした。  封殺し続けた肉欲が、僕の体の全細胞の中で爆発しようとしている。 「レン……」  その名を呼んだ。 「レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン、レン」  最後、僕の脳裏に浮かんだのは、あっちの世界のレンだった。  学生服を着て、僕なんかに素敵な笑顔で挨拶してくれた、優しいレン。 『おはよ、ヨル』  そして僕は弾けとんだ。  全身から白濁を、花火のように撒き散らし、僕の心は消失した。

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