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第61話 決戦(2)
レンは冷たい表情で腕を振るい、その少年を振り払った。少年は簡単に床に投げ出された
だがめげることなく、少年は再び起き上がってレンにしがみついてきた。
「絶対にヨアヒム様を殺させない!」
レンはちっと舌打ちをし、少年の首をつかんで宙にぶら下げた。レンは手に力を込める。
少年は苦しがってジタバタもがいた。
「ヒカ……ル……」
腹から大量に紫の血を流し続けるヨアヒムが、呆然とつぶやいた。
その左腕が緩む。
ヨアヒムの左腕から、ヨルの体が落下する。
レンは視界の端でそれを捉え、はっとする。
ヒカルから手を離し、ヨルの体に飛びついた。
ヨアヒムから解放されたヨルの体を抱きとめ、レンはかたく胸に抱いた。
「ヨル、ヨル……!!」
その唇に、レンは口づけをした。微動だにしない唇に。
「ごめんな、守るって言ったのに、誰にも指一本触れさせないって約束したのに……!守ってやれなくて、ごめん……!せめて仇を、仇を討つから、今からヨアヒムを殺してやるから!」
人形のように動かないヨルを、レンはそれでも美しいと思った。愛おしいと思った。
自分が無力だったせいで、ヨルをこんな体にしてしまった。
腕と脚を切り落とされ、決壊させられ。
想像を絶する陵辱と虐待が、ヨルの身に加えられたのだ。
――俺が無力だったせいで。
目の前につきつけられた残酷すぎる現実に、気が狂いそうになる。だが懸命に堪えた。
まだ、狂ってはならない。狂うのはヨアヒムを殺してから。
レンはヨルの体をそっと床に横たえ、ヨアヒムに向き合った。
血を流しながら床にうずくまるヨアヒムの体を、ヒカルと呼ばれた紫の髪の少年がかき抱いていた。
「どけ、転生者。邪魔するならお前から殺す」
「いやだ、どかない!殺したけりゃ殺せよ、僕は絶対にここをどかない!」
レンは侮蔑するように、ふんと鼻を鳴らし剣を抜く。その首を切り落とすべく、剣を振り上げた。
「やめてくれ勇者っ……!」
しわがれた掠れ声で、嘆願したのはヨアヒムだった。
「ヒカルを……殺さないでくれ……」
レンはぴたと手を止める。
ヒカルは息を飲んだ。信じられないという表情で、胸に抱いたヨアヒムを見つめる。
苦しげに息をつく美しい邪神を。
レンはくっと笑った。凶暴で凄惨な笑みだった。
「いいね、あんたでもそんな顔をするんだな、ヨアヒム!こいつをますます殺したくなった!」
レンが再び剣を振りかぶった、その時。
ヨアヒムは己の額の目に、自らの指を突き刺した。
「!」
レンは目を見張った。ヒカルも。
二人はあっけにとられて、その理解しがたい行動を見つめた。
ヨアヒムの額から紫の血が吹き出す。
三本の指がその邪眼の眼球を、引っ張り出して引きちぎった。
ヒカルの絶叫が響く。
「ヨアヒム様ああああああああああっ!」
「お前、何を……」
剣を振り上げたまま顔をしかめるレンに、額に穴を開けたヨアヒムはうっすらと微笑んだ。自らの眼球を手のひらに転がしながら。
「ヒカルを殺すなと……言っている……」
レンは奥歯をギリと噛み締めた。
ヨアヒムにすがりつきぼろぼろと泣く少年を見下ろし、振り上げた剣をふるふると震わせた。
レンは、この場をこの少年の血で染めたかった。
ヨアヒムの面前でこの少年を殺し、思う存分切り刻んでその死体すら辱め、その血肉を足の下に踏みにじり、ヨアヒムを嘲笑ってやりたかった。
大切なものを壊される苦痛を、自分と同じ苦痛を、ヨアヒムに味あわせてやりたかった。
葛藤し、葛藤し、叫ぶ。
「くそったれ!!」
レンは音を立てて剣を床に振り下ろした。剣を叩きつけられた床の石材が砕け散る。わななきながら、レンは剣を鞘に納めた。
ヒカルは大粒の涙を流しながらヨアヒムの頭を抱きしめた。
「ヨアヒム様、僕なんかの為に……!愛してます、愛してます、あなたに会えて僕は本当に幸せです……!」
目をつむりその腕に抱かれるヨアヒムは、幸福そうでもあった。
レンはハッとため息をつき、その不愉快な光景に背を向ける。二人ともぐちゃぐちゃの肉片にしてやりたい衝動を懸命に抑えて。
床に横たえていたヨルの体をそっと抱きあげた。
その何も映さない瞳を見つめ、レンの目から涙がこぼれた。
抱きしめて、耳に囁く。
「ずっとそばにいるからなヨル。俺はずっとお前のものだ……」
もう決してヨルを離すまい。生涯そばにいると心に決めた。
何も答えないヨルに、それでも毎日話しかけよう。毎日毎日抱きしめてキスをしよう。
ヨルだけを愛し、生きていこう。
不完全燃焼の心地ではあったが、復讐は果たした。
額の邪眼が失われたので、ヨアヒムの邪神としての力は失われた。
もはや肉体の再生能力もない、ただの人だ。
レンの剣による腹の傷は塞がらず、血が流れ続けて、程なく死ぬ。
邪神の力によりこじ開けられていた時空の穴も閉じるだろう。
そして元の世界と繋がっていた帰還の門は……。
レンの心に疑問がわく。
そうだ、帰還の門は、どうなるのだ。
ヨアヒムがかさかさの声を出す。
「戻るなら急いだ方がいいぞ、勇者……。私の邪眼が潰れたので、私の力により維持されてきた様々な術がこれから漸次、失われていく……。帰還の門の力もな……。私が生きていれば術はしばらく維持されるが、私が死ねば瞬時に、門は永久に閉ざされる……。元の世界に戻れば……ヨウの壊れた体も心も、回復する……」
レンはヨアヒムを振り向いて固まる。
なん、だって?
ヨルが戻ってくる、だと?
レンは息も絶え絶えな邪神を見据えた。
レンは、元の世界に戻っても、肉体は回復しても壊れた魂はそのままなのかと思っていた。
心まで復活するというのか、全てが元どおりに。
レンは拳を握りしめる。
クソッ、なんでこんなことをしなきゃいけないんだ、と思った。
だが、しかし。
レンはヨアヒムに手をかざした。
ヒカルが警戒してレンを睨みつける。
「よ、ヨアヒム様に何をっ!」
レンの手から、治癒魔法が放たれた。
ヨアヒムの腹の傷が薄れていく。
えっ、とヒカルが驚く目の前で、ヨアヒムの青ざめた顔色に色艶が戻っていく。
「こっちの時間稼ぎだ、首の皮繋がってよかったな、死に損ないが!回復してやったんだから、洞窟と扉の封印を解除しろ、それくらいまだできんだろ!」
ヨアヒムは微笑した。
「分かった、解除する。さらばだ勇者よ。ヒカルを生かしてくれてありがとう。そして花嫁に、すまなかったと、伝えてくれ……」
くそったれ。
もう一度、悪態を囁き、レンはヨルの体を抱き、部屋を立ち去った。
帰らねば。戻らねば。
ミルドジャウ山へ、帰還の門へ、その先の日本へ。
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