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第15話

亜嵐が出ていったドアを見つめて、何だかめっちゃウズウズする… (亜嵐は俺が突っ走るのを心配して、部屋に居ろって言ったんだよな?) (じゃあ、ドアからちょっと外を覗く位なら…) 誰に見られているわけでも無いのに辺りを見回すと、ドアの近くまでにじりより… 部屋から出た所を亜嵐に見つかりでもしたらいけないし、ドアに耳を当てて外の音を聞こうとした… (何も聞こえない…このドアも分厚いのかな?) 内側の鍵を回すと、ドアに体重をかけて少しだけ押し開いてみる。 冷蔵庫を開けた時の様に、冷気が部屋へと流れ込んできた… (んー?暗くて何も見えねー…しっかし寒いな?魔界って寒いの?…地下だからか?) 薄く開けたドアの隙間から覗いてみても、暗すぎて床の色すらわからない… こんな未知の場所に踏み出そうとしているのに、俺は何故だかワクワクしてしまっていた… (まぁ、すぐ部屋に戻れば大丈夫っしょ!) というわけで、ドアの側に亜嵐達が居ないのだけを確認すると、初めて俺は本格的に魔界へと足を踏み入れた… だってさ、亜嵐の部屋はただのお洒落なワンルームだったし… 折角意を決してこっちへ来ても、何ら人間界と変わらないんじゃ… それはそれでつまらない。 全身が完全に部屋から出ると、短パンから出た素足がひりっと冷える。 一応後ろ手でしっかりとドアノブを握り、締め出されないように注意していた… 真っ暗な廊下みたいな印象だったが、目が慣れるにつれ少しその様子が解って来る… こちら側には何部屋かあるようで、同じドアが間隔を開けて並んでいた。 幅の広い廊下の向こう側には窓があるらしく… 魔界とか、お城のイメージ通りの額縁が窓を囲んでいるのが、なんか少し嬉しく思えた… ただ、幅広い廊下の向こう側は遠くて、窓の外を見ることは出来なかった。 (外…どうなってるんだろう?) 俺はかなり慎重派だし、危ない事をして大怪我をするだとか、幼い頃から一度もしたことが無い… 兄貴は自由奔放だったし、下の弟妹はやんちゃだったから、俺が「言いつけ」を守り兄妹をまとめあげていた。 なのに何故だかこの時だけ… 俺の中の興味が勝ってしまった… よりにもよって、こんな場所で… 足音を立てないように窓辺へ向かおうとした時、背中のドアがガチャンと閉まる。 その音に急に冷静になり、念のため一度部屋の中へ戻ろうと思った… (……うそ…開かない?) 先ほどまで握りしめていたドアノブを、左右どちらに回しても… 押しても引いても全くびくともしなくなっている… 「ヤバい…どうしよう…」 漏れ出た声も虚しく、俺はドアの前に立ち尽くしていた… 「絶対亜嵐に怒られるやつじゃん…」 どうにもならないドアに向かって、イタズラがバレた時の子供みたいに怒られる覚悟を決めた… その時、何処からともなく流れてきた冷気に乗った、嗅いだことの無い香りを感じる… 甘さの中に何だか嫌な臭いが交り、僅かに濃くなってきた香りに吐き気がしてきた… 香りを遮る為に腕で顔を覆うと、背後にはいつの間にか何者かの気配を感じる… 嫌な予感しかしない状況に目が潤んできたけど、恐る恐る気配の方向へと視線を向けた… そこには二人の… 二匹のと言うべきだろうか? 二足歩行なのだろうけど、腰は曲がり動物的な姿勢でそれらは立っていた。 グレーの肌には無数の皺がよっていて、鼻の辺りには小さな穴が空いている… 見開いた目でその二人はこちらをジトっと見つめていた… それらが淫魔なのだろうということは、俺にだってその姿と強く立ち込めた臭いでわかる… 腕で必死に抑えていても感じ取れるその臭いは、アンモニアに甘い花の香りを混ぜた様な… 吸い込んでしまったら、卒倒してしまうとさえ思える様な悪臭だった… その臭いを更に強く立ち上らせると、足の間ではそれぞれのモノがいきり立っているのが目に入ってしまう… 布切れ一枚すら着けずに、露になったソレはだらしなく先端を濡らし… そんな姿を恥じらうことなく、それらは何やら相談していた… 「お゛…お゛ぉ゛ぉ゛…」 「お゛お゛お゛お゛…ぅお゛っ…」 「っ゛…っお゛♪…お゛…」 (亜嵐と雨愛しか見たことが無かったけど… 淫魔って言葉すら喋らないの?) (あっ…鷲尾さんも、小さい頃に見た亜嵐の父さんも普通だったのに…) (とにかく、この状況…絶対ヤバい…) 明らかに恐怖を感じる状況なのに、声をあげる事が出来なくていると… 相談を終えたようなそれらは、開けっ放しの口からダラダラとヨダレを垂らし… 嬉しそうにお互いの下半身のモノをぶつけ合う… それは、まるで祝杯をあげる前の乾杯みたいだった… それらの呼吸が荒くなり、鼻の辺りに空いた穴からシューシューと勢い良く空気が漏れて… それらは示し合わせたのか、俺の左右から挟み込む様にジワジワと近付いて来た… 怒られても何でも良いから、振り返った時に立っていたのが亜嵐だったらどんなに良かったか… 「…やだ…亜嵐…助けて」 それらが纏った殺気とはまた違う興奮の気配に、思わず小さな声が漏れた… すぐ側まで迫り寄るそれらの悪臭にクラクラしながら、少しでも距離を取ろうと試みたが… 開かないドアとそれらの放つ熱気の中に閉じ込められ… 「……うわぁぁぁ…まじっ…やめっ…」 やっと叫んだ時にはもう、茶色く固そう伸びた爪が俺の腕をかすめる… 俺は絶望という感情を初めて感じた… 傷付けられるのか、拐われるのか、殺されてから犯されるのだろうか? その一瞬の間にありったけの最悪の想像が脳裏を過り、最後の抵抗とばかりにギュッと目を閉じた… ……… ――パシュッ ――パシュッ 短い空気砲のような音がして、瞼の裏に眩しい光を感じた。 一瞬の静寂の後、目の前の圧が無くなり空気が軽くなったのに気付き… 俺は恐る恐る目を開けた… 目前に迫っていた二つの影は跡形もなく無くなり、暗闇の中を煙のように靄が漂っているだけで… 「亜嵐?」 思わず名前を呼ぶと、キョロキョロと辺りを見回して亜嵐を探す… 一先ず助かった事を察した俺が、真っ先に思い浮かべるのは亜嵐しかいない… 情けないけど、暗闇に自分が発したその名前の響きに安心感が増していた… 「亜嵐で無くて悪いね?…二琥君?」 助けてもらえたと思った途端、予想外の声に名前を呼ばれカラダが強張り… ヒタヒタと近付いてくる足音に、俺はまた身構えた… 俺のすぐ側で足音が止まると、その姿をやっと確認する… そこには高そうなガウンを羽織り、ふさふさとした白い髭をさすりながら、小太りのお爺さんが困ったような顔をしていた。 「怖かったね?ごめんよ…まさか一人で出歩くとは思わなかったから、あんな目に合わせてしまって…」 「えっ?」 「可愛い二琥君に何かあったら…もう亜嵐に口をきいてもらえなくなる所だった…」 「あっ…!」 「おや?大丈夫かい?」 「もしかして…亜嵐の…じーちゃん?」 「ふぉっふぉ♪…もう二琥君のおじーちゃんでもあるぞ?」 サンタクロースを小柄にしたようなこの人と、背が高くてスタイルの良い亜嵐の血縁関係が、すぐには理解できなかったが… でもその人が嫁ぎ先の重鎮だとわかった途端に、自然と背筋がピシッと伸びた。 「あっ!そっか!…って!…申し訳ございません。俺…じゃないっ!…私、亜嵐さんと結婚させて頂いた田中二琥と申します…あっ…旧姓は里山で…私だけでなくて、実家もろとも援助頂き大変感謝しております…えっと…ご挨拶が大変遅く…」 「まぁまぁ二琥君落ち着いて?…本当に君は可愛いね♪…亜嵐がぞっこんになるのもわかるよ…挨拶など堅苦しくしなくとも、もう十分可愛いわしの孫なのだよ?…それより怪我は無かったかな?」 助けてくれたこの人は、俺の義理のじーちゃんらしい… ということは、ここの王様な訳だけれども… 緊張と安堵を繰り返した俺の頭は、そこまで考えが及ばなかった…

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