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第3話 自慰行為(*)
「ん……っ、はぁ、紅葉……っ」
紅葉がひとりで本を読んでいたところ、いきなりインカムからその声が聞こえてきた。
「っ……?」
びっくりして顔を上げた紅葉が振り返ると、ガラス越しのどこにも、臣の姿がないことに気づいた。
「ぁ……っ、ぁ、ぁ、っ──……紅葉、ぃ……っ」
シャワーの水音とともに、あえかな声が、耳元のインカムから漏れてくる。
誰が聞いても、それは紅葉に触れられている時の臣の声だった。
「ぁっ……イく……っ、紅葉っ……! ぃ──……っは……ぁ、んんっ……」
気持ち良さそうに甘い声を上げて、上り詰めたのだろう臣が、しばらくぼうっとなったまま息を整えている音が聞こえてきて、紅葉は自分の身体の芯が、ずくりと疼くのを感じた。
ソーシャルディスタンスを保ったまま、三日。
もう七十二時間以上、臣に触れていない。
臣と再会してから、これほど長いこと互いに触れ合わずに、過ごした時期はなかった。
朝、起きてキスをして、イチャイチャする生活が、ここにはない。イチャイチャどころか、ちょっとしたスキンシップ──身体に触って、その温もりを確認したり、昨夜の痕を指先でなぞってみたり、そうしたどうということのない接触さえ禁じられると、正直、堪える、と紅葉は感じていた。
紅葉は、自分のインカムの音が漏れないようにそっと溜め息をつくと、バスルームへこもっている臣が、出てくるのを待った。待ちながら、先ほど聞こえてきた淫靡な声のことを、告げるべきかどうか、真摯に迷い、考えた。
臣に知らせずに、大人の対応をするのも、一手ではあったが、小さな隠し事や行き違いで、関係がこじれるのは、もうこりごりだった。何より、臣に隠し事をするのが、紅葉は嫌いだった。臣との婚姻が決まり、巣ごもり生活をはじめてから色々なことがあったが、臣に自分の気持ちを認めてもらえた時から、二度と誠実さを疑われるような行いはしない、と決めていた。
「臣ちゃん?」
バスルームから、ラフな格好に着替えて出てきた臣が振り返るのを、紅葉は待った。少し汗ばんだ臣の肌が、艶を増している。毛細血管が開いたせいで、血流がいつもより良くなったからだろう。セックスのあとは、いつもそうなるが、本人は全く気づいていない。本当だったら、臣のこの姿を、ともに婚姻した別倉家の林檎や蜜柑にさえ見せたくない、と思うほど、紅葉のパートナーは無防備だ。
「あのさ、臣ちゃん。少し話さない?」
「どうしたんだよ」
元どおりインカムをした臣は、振り向くと、紅葉からちょっと視線を逸らした。
後ろめたさ。不本意。
きっと、本人を前にして、触れられないことにフラストレーションを感じているのは、紅葉だけではないのだろう。それを想うと、胸の奥がじんわり熱くなる。
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