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第6話 錨(イカリ)

 でも、ソーシャルディスタンスを保たなければならない今の状態では、それさえままならない。紅葉はもどかしげに、部屋の真ん中で蹲る臣に、優しく言葉をかけた。 「臣ちゃん、こっちにおいで」 「……るさい」 「おいで。──俺が臣ちゃんを愛してあげる」  だから、傍にいて欲しい。  どんなにつらい時も、臣を思えば、何でもできるし、力が湧いてくる。  希望という胡乱なものが、どんな形をしていて、どんな手触りで、どんな声を発して紅葉を愛するのか、もう知ってしまった。そんなあとでは、臣のことを放っておくなど、できようはずがなかった。 「できもしないのに言うなよ」 「できるよ、臣ちゃん。俺、ずっと臣ちゃんに触れてなくて寂しい」 「……」  しばし沈黙が続き、臣がやっと、すっくと立ち上がった。  紅葉の方を見ないように気まずそうに視線をつま先に落とし、そっと紅葉が張り付いているガラスのすぐ傍までくる。 「……俺も」  拗ねたような口調で、俯くと、ゴツ、とガラスに額を付けて、そっと呟いた。 「紅葉が恋しい……紅葉」  刹那、切なく胸に迫ってくるこの感情を、「臣」と名付けようと紅葉は決めた。どうせ形のないものは、するする指の間をすり抜けてゆく。だから、確かなものにするために、紅葉は臣の存在を、形のない感情たちの拠りどころにしようと決めている。いつも、どこにいても、臣がアンカーになってくれさえすれば、きっと紅葉は生きる道を見失わない。もうずっと、幼い頃から、まだアルファに分化する前から、紅葉はそうやって生きてきた。 「臣ちゃん、好き……」  何回告白しても、臣に対する気持ちが新しく湧き出す。  紅葉は臣が、大好きだった。不安に慄く臣も、怒る臣も、憎む臣も、哀しむ臣も、臣のことなら、全部知りたいと思うぐらいには、好きだった。  そっと、ガラス越しに佇む臣が、震えているのがわかった。  紅葉を恋しいと泣きたいだろうに、震えながら耐えている臣が健気で切ない。  紅葉はそっと、臣の唇の高さまで身をかがめると、そっと臣の唇のあるあたりのガラスに口づけた。 「俺も、臣ちゃんが恋しい……触りたい。抱きたい。愛したい。一緒に生きたい」  冷たいガラス越しにそう囁くと、臣がわずかに顎を上げたのがわかった。 「イきたいとか言うな。エロいだろ」  抑制した末に放たれた、声がわずかに震えていた。もしかすると、臣もまた、紅葉と同じように思ってくているのかも知れない、と思うと切なさが込み上げてくる。

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