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第2話 side 鬼島

「雨、やみませんね」  助手席から聞こえる雪路(ゆきじ)の嬉々とした声が、横殴りの雨が叩きつける雨音や水しぶきを上げる音に混じる。  普段は、周囲にあらぬ誤解を招かないために、後部座席に座っているのだ。が、ワイパーをフル稼働しても、視界不良になるほどの春の嵐が、目隠しとなっているおかげで、助手席に座っていられる。 「俺も雪路がとなりにいてくれるのがすごく嬉しい」  ふと赤信号や左折する際に、雪路の姿が目に入ると、胸が温かくなる。 膝の上に小さな紙袋を乗せ、それと鬼島との間を視線が行き来している。子どもがプレゼントをもらった時のような表情と雰囲気に、思わず笑みがこぼれた。 「俺もです。今日一日中、鬼島先生……鬼島さんを独占出来て、気分がふわふわしているといいますか、本当に夢を見ているような気分です」  甘え下手で、物わかりのいい子の仮面がはがれない彼をもっともっと甘やかしたくなる。  雪路と目が合った瞬間、花がほころぶように笑いかけられ、心臓の鼓動が逸る。自分が知らなかった表情を見せるたびに、惚れているなんてざまあねえなと思う。  教師と副業のおかげか、人の機微に聡い部分がある。熱くてまとわりつく視線の主が誰なのか、告白されないうちは気付かないフリをしているのをいいことに、どんどんと接近してきた。社会の闇を煮詰めたような黒い瞳で熱心に見つめてくる、雪路が悪い。加虐心を無駄に煽るだけだと知らずに、頼ってくる彼が。 「先生、その信号を右折です。工場地帯を抜けてすぐの公園の駐車場に停めてください」  雪路ははっきりと言った。  この信号を左折すると、雪路の家にたどり着く。 「よく行くのか?」 「海が見たくなった時に、自転車をこいでここまで来ると、ストレス発散にもなって気分がすっきりするんです」  彼から彼の家庭事情を聞いたことはない。自分のことを話したがらないからだ。担任なのに、進路先も知らない。何度か家出したり、児童相談所に一時保護されていたりしていたと風のウワサで聞いたことがあるが、定かではない。  言われた通り、駐車場に停めると、雪路がジュエリーケースを渡してきた。 「着けてくれますか?」  さっきとは違い、右手を差し出した。自分よりも一回りくらい小さくかさついた手を取り、そっとはめる。白く、すらっとした薬指にプラチナの指輪が映える。 「なんか緊張するな」  軽佻なセリフを吐いても、生徒と教師という背徳の関係は変わらない。ましてや、気恥ずかしさも薄まるわけじゃない。けれども、彼に指輪を贈りたい気持ちは変わらない。  真っ赤な顔を隠すように、雪路は手を顔の前にかざした。工場の夜景が反射して、きらきらと輝く。ファッションリングの真ん中の石の両側だけに、波の模様が刻印されているデザイン。 「しあわせで、……こわい」  潤んだ瞳が、夜景を反射して、流れ星のようにすうっとこぼれていく。 「怖いのか?」 「社会人兼大学生になれたのも、運がよかった。先生にワガママ聞いてもらえて、一緒に出かけたことも全部しあわせで、嬉しくて……」 「おめでとう。大学生って?」 「今できる最善の道を選びました」  淡々と事実を述べているが、どの生徒もそれなりにつらい思いや重い決断をしている。それに口を出す権利はないが、相談に乗ったり、話を聞いたりすることなどはできる。けれども、担任にできることなどほとんどない。 「一言でも相談してくれたら嬉しかったな」 「せんせい……」  センターコンソールをまたぎ、雪路が身を乗り出す。穴が空く程黒い瞳が凝視し、はにかんだ。 「お礼、です」  冗談のように軽いキス。 「ちょっ、お前っ」 「俺からはしていいんでしょう?」 「ああもう~、勝手にしろ」  彼が卒業するまでは、情を交わさない。そう決めた。やせ我慢ではなく、ただ単に開発の余地がある人間と早々に関係を持ったらつまらない。  声を上げて笑う雪路の姿があまりにも可愛くて、目のやり場に困る。曖昧な雰囲気に流されそうで、エンジンをかけ、ブレーキペダルとクラッチペダルを踏み、ギアを入れた。 「家の近くまで送る」 「ありがとうございます」  こんな時に限って信号は全部青で、思ったよりも早く住宅街の端まで来てしまった。マーフィーの法則だっけ?  ――別れを惜しまなきゃよかったな。 「雪路」  振り向いた彼をシートに押し付けヘッドレストに手を付き、もう片方の手で彼の腰に腕を回した。吃驚して目を丸くし、嫌がる素振りを見せる彼の唇を強引に奪う。何度も唇の感触を確かめていると、雪路が焦れたように唇を薄く開け舌先で唇をつついてきた。いなすように舌先を甘噛みし、唇を離す。途端、潤んだ瞳が物足りなさげで、恨めしそうな視線をよこす。 「がっつくなよ」 「だって、先生からしてくれたし、気持ちいいから」  どうして、男を煽るセリフばかり吐くんだろうね。のっぴきならない状態になる前に、せっかくやめてやるつもりだったのに、さ。  耳朶に歯を立て、なだめるように舐める。びくびくと身体を震わせ、鬼島のシャツをぎゅっと握る手をそっと上から握る。  わき腹からあばらを撫でるようにして、秘めやかな尖りを探り当てる。指先で押し潰したり、弾いたりしながら、首の後ろに手を回し、強引に唇を奪った。雪路が抗議しようと開いた隙間に、ねじ込んで上あごなどを舌で愛撫するだけで、甘えたような鼻にかかった声を上げる。 ――可愛い声。  もっと聞きたいと愛撫に熱がこもる。さなぎから羽化したばかりの柔らかく未完成な身体は、ひどく感度がいい。が、体格差も身長差もかなりあるため、潰さないように細心の注意を払う。  眉根を寄せ苦しそうに息を吐きながらも、唇を離そうとはしない。  唇を離したら、二度と会えないような予感がする程――情熱的というより、必死で鬼島の身体に縋りつき、ぎこちなく求めてくる。  ズボンのチャックを下ろして、張りつめて苦しそうな雪路自身を下着から取り出した。 「んッ……ッあっ……ンンッ」  くぐもった喘ぎ声が漏れ、汗ばんだ身体がびくびくと震える。ティッシュペーパーを何枚か引き出し、かぶせると、腰が小刻みにけいれんした。 「少し休んでいくか?」  除湿設定をしているのに、蒸し暑い車内には、しめった匂いと、独特の匂いが混ざっていて、除湿設定を上げた。  小さく頷いて、ぐったりとシートに身体を預けている彼を横目で見、背もたれを倒す。乱れた衣服を整えながら、髪を梳く。キスし過ぎて、赤くなってしまった唇が誘っているみたいで目を逸らした。

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