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第5話

◇  ディレックはレーニティの背中を眺めた。キュアッドリーのベッドの奥で丸まって寝ている。保護者はいる夜だというのに長弟はいない。銀髪の女に言われたことが効いたらしく、その後の彼の態度は平静を装ってはいたがぎこちなかった。保護者でいるつもりならそれなりの責任を持て。無理なら然る対応をしろ。今の経済状態で3人も育てられない。周りを頼れないなら自分も子供も破滅する。理想と希望的観測で子供は育てられない。女はそのようなことを並べ立てた。レーニティアの苦労を知らないのだ、あの女は。ディレックは怒りに身体が熱くなった。身を削り生活費を稼いでいることを知らない。観光都市で恋人や友人と戯れる若者たちとそう変わらない日常を送っているとでも思っているのだ、あの女は。 「ディレック」  小声で呼ばれ、上体を起こす。窓から入る月明かりがわずかに届き、銀髪が照っていたが表情は見えなかった。 「寝れないのか」 「今日はそんな動かなかったから」  デュミルは両手を広げ、大きく口を開いて寝ていた。タオルケットが蹴られ、翻っている。ディレックは起き上がって小さな身体に掛け直した。 「ごめんな。キュディが出て行ったのは、きっと俺の所為だ」 「何言ってんだよ。あいつが勝手に決めて、勝手にやったことでしょ。放っておけよ」  どれだけレーニティアが家族を想い、苦しい思いをして稼ぎを増やしているのか、キュアッドリーが知ることはない。知られることをレーニティアが良しとしていない。 「そんな風に言うな。俺はあの子の寂しさに気付いてやらなきゃならなかった。ごめんな、ディレック。お前も…」 「オレは別に寂しくない。レニーが頑張ってんの知ってるから。オレがデュンに構ってばっかだったのかも」  レーニティアは少しの間黙った。寝てしまったものかと思われた。弟の寝息が聞こえる。ディレックは2人に背を向け壁を見ていた。月の光は強く、壁掛けの細かな凹凸を浮き彫りにする。隣の隣のベッドが軋み、レーニティアは起き上がった。こんな夜中まで仕事かよ。一言かければ優しい保護者は気負うだろう。足音が傍まで来てディレックの寝ているベッドが沈んだ。温もりが近付く。 「疲れてんだろ、ちゃんと寝ろよ」 「狭いか」 「別に」  髪を撫でられ、抱き締められる。同じ洗剤のはずだというのに少し違う香りもする。昼間は季節を問わず暑いくらいのくせ夜間は夏であっても冷え込み、布団に紛れた彼の体温は心地良かった。弟たちに感じるものとは異質の、燃えるような痛みが胸に広がる。 「ディレック」  月光に煌く銀髪は美しかった。額に額を当てられる。頬を撫でる少し硬い大きな掌に自ら擦り寄ってしまう。隙間もなく吸い付くような感触にディレックは目を細める。目元や額、頬に落ちていく繊細な唇と優しく耳や髪に触れていく指は、何重にも縛った結び目を解いていくようで、泣きたくなった。 「デュミルのこともキュアッドリーのことも、もちろんお前のことも、愛してるからな。これでも…これでも愛してるつもりなんだ」 「分かってる。分かってるよ。でもそれはレニーがつらい思いしなきゃ伝わらないものなのかよ」  ふと目に入った薄い唇に強烈な衝動を覚えた。布越しのレーニティアの身体に縋り、首を伸ばす。 「ディル、」  唇が境界を失う。蕩ける心地がして頭の中がふわふわとした。もっと、もっとと欲が溢れ、弾力と質感を味わいながらさらに唇を進めた。 「駄、目だ…」  抵抗は弱く、レーニティアが喋ったことでディレックの中のある閃きがさらにふたりの繋がりを深めた。 「ん……んん、」  奇妙な体験の中でも聞いたこともない保護者の、大人の、兄のような存在の鼻にかかった声をもっと聞きたくななってディレックは彼に舌を絡めた。身体に触れた体温がもぞもぞと動く。 「や……ぁ…」 「動かないで」  子供のような声を出すレーニティアから一度口を離す。唇から伸びた透明な糸が月の光に輝く。 「ディレック…口、だめ……だ、っぅん、」  唇を塞ぐ。悶える大きな身体を押さえる。内膜を舌先でなぞるとレーニティアは腰をびくびく跳ねさせ、シーツを蹴った。ディレックの腿に固いものが当たった。逸らそうとする頬に手を添え、喉を震わせる箇所を突つく。舌が抵抗し、戦い、そのまま縺れる。甘い蜜が混じり、口元が潤う。 「ぁう……んン、」  膝で固く膨らんだ部分を潰さないように擦る。レーニティアは背筋を反らせディレックの肩を押す。 「ぅん、ふ……ぅ、んンッん…」  上顎を舐める。レーニティアの下半身がディレックの腰にぶつけられる。拳で柔らかく胸を叩かれ、惜しく思いながら唇を離す。 「ディレック……駄目だろ…?」  翠色の瞳が潤み、眉根が弱く寄っている。何か新たな発見が得られるような気がした。まだかくりかくり動いているレーニティアの腰を掴むと掛布団の中に潜った。 「ディレック…駄目だって……」  奇妙な幻覚の中でレーニティアがやっていたことはディレックの中では信じられないことだった。しかしレーニティアが相手なら信じらそうで、何より拒否感もなかった。コットン製の厚手の寝間着の下を捲る。優しい彼はやめさせようとはするものの大した力は込められていなかった。下着の中の熱を出す。 「駄目だ…っ、!」  屹立を舐める。知らない味がした。 「ディレック……汚いだ…、ろ…」  黒い髪を撫でられる。掠れた声がさらに彼を味わいたいと思わせる。噎せ返るほどの彼と、揃いの洗剤と、わずかに混じる汗の匂い。くらくらした。 「いい……レニーのなら、いい」  訳もなく目頭が熱くなる。衝撃的な脳裏の映像は少しずつディレックの中で分解されていく。赤黒く張り出た巨大なミミズのような肉棒を舐めるレーニティアの姿を重ねる。彼がやられていたように髪を鷲掴む手はない。ちゅぷちゅぷ音がした。 「ディレック……やめなさい…、こんな、こと…っぅん」  髪を擦り抜け、汗ばんだ大きな手が肩に添えられる。先端部の窪みに尖らせた舌を入れる。 「ディレック、ディレック…っ出るから…出るから、駄目だ……」 「イくって言ってよ、いつも言ってるじゃん」 「ディル……」  布団の中から見上げたレーニティアは月の光を浴びてひどく美しかった。 「そんな言葉…どこで…」 「レニーのこと、いつも見てるよ。全部見てる。ここ、ごしごしされると、びくびくするよね」  翠色の瞳は困惑に満ちていた。 「ディル…」  見様見真似でレーニティアの膨らみを扱く。先端部を舐めた。張り出た部分の影を舐めて焦らした。濃くなっていく匂いがディレックの欲を掻き立てた。 「あ…あっあ、んん、イっ…」  彼は熱い吐息を漏らす口元を覆った。シーツが擦れ、前屈みになる。 「言ってよ。オレはこれからも、レニーのことずっと見てる」 「駄目だ……イく、イく…ディル、ディル!」  どぷ、と口腔に液体が飛んだ。生き物の息吹が指に伝わり、それに合わせて口の中に塩はゆい苦味が飛んだ。だがレーニティアを感じてしまうと乳飲み児のようになって粘性のあるものを夢中になって吸った。尻を打たれたように彼は腰を跳ねさせる。 「すまないディル!出せ、早く…」 「大丈夫」  まだ弄り足らなかった。まだレーニティアの声を聞き足りない。硬さの残るそこを触りながら顔を上げた。 「大丈夫じゃないだろ……まさか、飲んだのか」  翠色の目を瞠り、ティッシュに伸ばされた手が止まる。 「レニーもいつも飲んでる」  彼は銀髪を掴まれ、腰を突き入れられながら無理矢理に咥えさせられていた。口に器具を付けて大きく開かされたまま複数人のものを飲まされていたのを見たこともある。 「ディル…お前な、お前…俺とお前がするのは、意味が違うんだ」 「オレはレニーのならいいよ」 「ディル…そういう話じゃないんだ。家族でそういうことをしたらいけないん…」  レーニティアの動く唇に誘われる。家族なのだろうか。兄弟ではない。父親でもない。キュアッドリーにもデュミルにも湧かない感情が爆ぜてしまう。嫌だと思うことも、してはいけないと思うこともない。 「レニーは、嫌?」  触れるだけ触れて、確認する。ぼんやりした翠玉は霜柱のような睫毛が伏せられて隠れた。 「嫌とか、嫌じゃないとかいう話じゃ、」 「オレには、レニーが嫌かどうかだけでいい」  翠色の瞳は濡れてディレックを真っ直ぐ見つめている。わずかな嫌悪でさえその光からは伝わらない。本気の拒絶はその指先からは感じられない。押してみたい興味と引きたくはない不安。 「俺にとってお前は、子供なんだ。身を挺しても守りたい子供なんだ。だから、」 「オレはレニーに、オレに触られるの嫌かどうかって聞いてる。家族とか子供とか、そんなの、オレには…」 「キュディやデュンを裏切れない。許してくれ…許してくれ、ディル」  熱い身体に包まれる。彼は引き攣った声で謝った。腕から身を捩って抜け出し、頬に触れてまた口付ける。 「ディル、」 「レニーのことずっと見てる。オレは、ずっと」  離れた薄い唇の肉感をまだ求めてしまう。何か霊感に似た力が彼の脚に腰を寄せ、びりびりとした感覚に骨が溶けていきそうになった。 「ディル……勃ってるぞ」  濡れて赤い舌が這う唇からゆっくり蕩けた翠色の双眸を窺う。ディレックは燃えるような紅い瞳を泳がせた。股の間が重い。腫れている。レーニティアと彼を甚振り金を払う人々と同じような膨らみを持っている。大人の男しか持っていない張りがそこにある。 「初めてか」  ディレックは頷くか否か迷った。翠色は優しい。少し硬さのある掌が頬や髪を摩る。ゆっくりと首肯する。 「分かった……デュンの前だと…」  レーニティアは寝息をたてる末弟を一瞥してディレックを抱き上げた。銀髪が窓の外の青白い光に溶ける。吸って舐めた唇が近付き、細まった翠の目に囚われる。胸が喉まで迫り上がるような小さな痛みがあった。カーテンで締め切られた玄関を入ってすぐのソファーに降ろされる。 「ここ、擦るんだろ」 「優しくな」  レーニティアは座らされたディレックに被さったままだった。紅い瞳は影を作る彼を仰ぐ。 「レニーの前で、やるの?」 「……次からは、ひとりでやれ。今日は俺が…やる」 「…レニーが触ってくれるのかよ」  レーニティアはこれから下半身を晒すディレックよりも小麦色の肌を赤くして頷いた。喉の飴玉のような隆起が動く。牙を突き立て皮膚を破り、その下に留まる飴玉を奪いたくなった。首を咬まれ動かなくなってぐったりと四肢を投げ出すレーニティアを想像すると汗ばんで臍の裏がさらに重苦しくなる。 「触るぞ?」 「いちいちい訊くわけ」 「お前の身体だ。大事にしたい。お前の気持ちも」  前髪を掻き分け、額を晒される。もう触ってんじゃん、という言葉を呑み込んだ。 「触ってよ」  彼は穏やかに笑んだ。寝間着の下を捲られ、膨らみが外気に晒された。レーニティアや彼を責めて金を渡す他の男たちよりも小さく、色は淡い。ただ普段よりも軸を持ち、自立している。大きな手に包まれ、指で摘むように動かされる。煤けたソファーの座面に爪を立てる。自分でやった爪は深く切られ、少し痛んだ。レーニティアにはもう長男の爪切りまで任せていられなかった。 「痛かったら言ってくれ」 「びりびり、する…」  茎部分の皮が上下に動く。先端部が小さな果物のようだった。背凭れに後退る。スリッパの裏が床を蹴る。腰を抱かれ逃げられなくなった。 「れ、に…ぃ」  指は慣れた手付きで器官を撫でるよりも強く擦るよりも柔らかく刺激した。 「声、出していいぞ。今日だけ、な。家族に聞かれるの、嫌だろ」 「レ、ニーが、……聞いて、んだ……ろ、っ」  呼吸が上手くできない。喉が熱くなる。これ以上のものを見たことがないほどに綺麗なレーニティアの瞳が普段服を着ながら人前に出すこともない場所を見つめている。 「ディル、息しろ。大丈夫だ。痛くないし、怖くない」  くすぐったさと痛さの狭間で頭の中に電流が通るようだった。四肢はいうことをきかず、好き勝手に床を蹴り、ソファーを握って、肘と膝が震えた。何か恐ろしいことが起きる。自分が自分ではなくなるような。知らない感覚と感情が渦巻く。それに塗り替えられてしまいそうだった。レーニティアのことばかりが浮かんだ。目の前にいるというのに、離れた時に陥る異様な体験と同じ貌をしている。今夜、彼は傍にいる。目の前にいる。その体温に触れられ、彼の低い声で名を呼ぶ。 「レ、ニぃ…口、吸いたい」  彼は手の動きを止め、眉を下げた。翠色の目が泳ぐ。 「レニー……口舐めたい」  下腹部に置いたままの手に手を重ね、腰に回った腕を外し指を絡める。片手は掌同士がぶつかり固く結んだ。彼の生温い体温を分けられる。摩擦が止まってもディレックの膨らみはさらに質量を増した。 「ディル、駄目だ」 「レニーが嫌ならしない」  しかし握った手はどちらからも放さなかった。翠色の目は濡れ、目元は赤い。泣いてしまうのではないかと思った。弟たちには保護者の貌をしているが、彼も時折ひどく落ち込んでいる。ばら撒かれた金を拾い集める時。置かれた札束を数える時。尻から流れ出る液体を拭き取っている時。 「オレはレニーの居場所でいるから。オレだけはレニーを甘やかしたいのに、ごめん。やり方は分かったから、もう寝ろって。明日も大変なんだろ」  手を放す。しかしレーニティアはまだディレックの片手を握ったままだった。 「ディレック……意地を張って悪かった。俺はお前たちの保護者だから……だが、それは言い訳に出来ない。お前が弟たちを守ってくれるから、俺がお前を、ディルを守ると決めたのに、こんなのじゃ…示しがつかない。でも、でもな、俺は…」 「ありがとな、レニー。オレたちを拾ってくれたのがあんたでよかった。でもあんたからしたら、めちゃくちゃ大変だろ。オレはレニーを見守るよ。痛みで、つらさで、苦しさで想いが測れるのなら、レニーとは比べるものにならないほど小さなものだけど、それでもレニーを見てる。あんたは独りじゃない。傍にはオレがいる」  銀髪を撫でる。弟たちと比べると軋んだ硬さがあった。翠色の目は弱りきってディレックを見つめる。 「ほんの、一夜の夢だと忘れて欲しい。家族でいたい。家族でいさせて欲しいから…」  レーニティアはディレックに乗った。何かを言う前に唇を柔らかい粘膜で塞がれ、このまま鎮めてしまっても良かった熱に馴染んだ肉感が触れた。 「れ、に…」  口腔を舐められ、ディレックは応えた。舌先が触れ合うと彼は勢いを失くし、少年の身体に撓垂(しなだ)れかかってしまう。レーニティアの口腔に舌を押し戻し、舌の裏の根本や上顎を摩る。 「ん……ン、ふ…ぁ」  耳の裏を撫でると大きな肉体がぴくりと跳ねた。下腹部の器官を擦る手が緩くなる。直接的なくすぐったさはもどかしいものになるが、それでも唇から伝わる痺れに浮遊感を得て、好きな声が耳を溶かす。 「ぁ……んん、く…」  口の奥を突つき、レーニティアの腰がひくん、と持ち上がる。後頭部を押さえてさらに口吻を深める。唇から彼と繋がっている。混乱と紙一重の幸福感にいてもたってもいられず薄いはずだというのに柔らかく張りのある口唇を喰んだ。もっと深く、もっと濃く、もっと奥まで繋がりたい。この保護者代わりの中に入りたい。ディレックは銀髪を抱いた。刺激が止まっても初めての滾りは直立したままだった。 「は……ぁん、んんッ」  膝を上げ、レーニティアの膨らんでいる下半身に触れた。ディレックは唇を放した。彼の口から舌を抜き、一瞬で冷める感覚が癖になりそうだった。透明な糸がまだ2人を繋いでいる。(とろ)んだ瞳がディレックの唇を舐めた。 「レニーも、それ…」 「俺は大丈夫…」 「オレがやる」  大きく膨らむ股間を撫でた。レーニティアは小さな嬌声を上げる。 「でもお前だって、まだ…」  彼の言葉を無視して形を確かめる。 「一緒に擦る。いい?」  銀髪が縦に揺れた。大人の熱と重ねら、ディレックは生唾を飲んだ。顔を赤くした綺麗な保護者代わりの姿に胸が張り裂けそうになった。片手がディレックの手を掴んだ。もう片方の手がディレックのものと彼の雄芯を握る。堪らない心地になって大きく広がる手にソファーの上に転がる手を乗せた。 「あぁ…」 「れ、に…ぃ」  3点で保護者代わりと繋がり、境界を失う。(ようや)くこうなれた、という感じがした。 「れに、」 「ディル、好きだ…」  泣きそうな表情と声で翠玉が迫る。オレも、と返す言葉は再び口を吸われて消えた。何度しても足らないくらいだった。レーニティアの手が激しく動く。 「んん…っ」 「く……ん、」  舌全体が縺れ合った。高く曇った声が聞こえ、腹が濡れる。ディレックもわずかに遅れて下半身を駆け抜けるような気持ち良さに腰を痙攣(ひきつ)らせた。翠色の目はディレックを眺め、白い粘液の付いた手を尻に回した。奇妙な光景でもレーニティアは尻を弄られてさらに高い声を上げていた。 「レニー?オレが、やる」 「駄目…だ、ここは、汚いから……っんぁ、」  肘が天を仰いでいる。高く掲げた双臀の引き締まった曲線にまだ落ち着かない呼吸が追い討ちをかける。ディレックは薄い唇を啄んだ。弾力を愉しむ。蕩けてしまう。何度も甘い蜜を啜るように角度を変えて口付ける。下唇を吸うと観光地でよく見る女性たちのように赤く色付いた。 「レニーのなら、汚くない…」 「ディル……お前にここを触らせられない」 「でも、」 「見ていてくれ。俺を見ていてくれ…頼む」  彼の身体が汗ばんだ。ディレックは力強く抱く。彼は長男の肩口に口元を押し付け、熱い息が寝間着の繊維を通してディレックの肌を炙った。耳元で彼は鳴き、ソファーが時折軋んだ。激しくなっていく片腕の動きが生々しい。奇怪な体験でみた痴態よりもディレックを火照らせ、強烈な印象を若すぎる認識に植え付ける。 「触りたい…触ってもいい?上だけだから…」  肩に当たる彼の輪郭が肌に埋まった。汗ばんで熱い肉体に触れた。布越しのしなやかな筋肉を揉む。他の人たちに触られ、摩られ、吸われ、舐められていた。仄暗い感情が芽吹くが口にすることは彼を刺し、蹴り、殴るに等しかった。壊し痛めつけるほどに抱き締めたい。皮膚が潰れるほど合わさりたい。 「ディ、……ル…」 「ずっと見てるからな」 「あぁ……ィく、イく、んんんっ、」  レーニティアは全身を震わせた。ソファーが軋む。ディレックは銀髪を力強く抱き締め、腕の中で暴れ跳ねる肉体を離さなかった。 ◇  キュッドリーは銀髪の女に案内された州局内にある宿泊所を借りた。夕飯に届いたピザは罪の意識が喉を塞いだ。ここで稼いで家族にも食わしてやるんだな。女の吐き捨てた冷たい声音に、まだ熱いピザにやっと手を伸ばすことができた。腹が満ちる不思議な感覚は少し苦しさを伴った。レーニティアやディレックたちは今日も腹いっぱいに飯を食うことができない。イカやエビの乗ったピザは美味いものだった。舌も胃も喜んでいる。だというのに何か粘土を食らっているような重みがあった。借りた部屋はガラスの衝立や広いベッドの枕側に面した壁から水が流れていた。静寂が訪れることはなく流水音が継続的に室内に響いている。銀髪の女はキュアッドリーから目を逸らして存在を消すように黙っていた。紅い瞳はピザを食みながら彼女を見上げた。緑色の視線は壁を通り越して遠くを射していた。  ここが落ち着かなかったら、うちに来い。ガキひとり分のスペースは余裕があるからな。  まるで譫言のように女は言った。うん。キュアッドリーは頷いた。女の声は嗄れて所々掠れ、聞こえなかった。着替えはあるが大きさが合いそうにないだとか、布団は新品で日用品も揃えてあるだとか取り留めもないことをぼやぼやと喋った。この女の人は何か喋りたいのだ。キュアッドリーはそう判断した。 「誰かと暮らしてたんですか」  彼女は緑色の目だけ茶髪の男児に向けた。キュアッドリーは怯えてピザを口に押し込む。慌てて食うなよ、と注意が飛んだ。  暮らしてたっつーか、住ませるつもりだった。でも嫌がったかもな、他人夫婦と暮らすんじゃ。 「誰を?」  近所の汚ねぇガキだよ。仕事柄な。引き取り手もねぇんだよ、育ちきっちまうとな。お前ンところも覚悟決めるなら早くしとくこった。  キュアッドリーの表情が曇ると意地悪く笑った女はばつが悪そうに平生から寄っている眉をさらに顰めた。  そうならないように、働くんだったな。頑張れよ。分かんねぇとこは教えてやる。これでも教師の端くれだった。すぐ辞めちまったがな。 「お()さん、先生だったの?」  そうだよ。訳あってリーネア=ポワンの祠官代理に任命されちまったけど。それが今じゃガキのお守りの州局員だ。代理って分かるか?代わりってことだ。祠官は分かるよな?まぁ、聖堂の先生ってことだ。  キュアッドリーはうんうん、少し楽しそうな女の語りに頷いた。 「女の人は祠官学校行けないって聞いた」  聖堂は女人を禁じてはいないが要職に女性は就けなかった。大昔に侵略された国から娶ってきた姫が国を裏切ったという言い伝えをキュアッドリーは漠然と絵本から読み取った。銀髪の女はキュアッドリーから緑色の目から逸らした。  兄弟の仕事ってやつだな。お前もデカガキと代わってもいいんだぜ。尤もあのデカガキは嫌がるだろうがな。 「ディルは…レニーが離さないよ。う~ん、レニーはディルがいなかったら、きっとダメになっちゃうっていうか、よく分かんないけど。でもぼくたちのこともちゃんと愛してくれてるんだよ?ただ、ディルにはなんか、違うんだよ。ディルのことも勿論愛してるけど、なんか、なんか…」  銀髪の女は腕組みをしてキュアッドリーの曖昧な主張を聞いていた。  それ、他の人には言ってねぇよな?お前が喋ったのはあのおじちゃんだけか? 「うん…おじさんの話はしないで。悲しくなるから」  ひとつ白黒付ける必要がある。白黒付けるって分かるか?きちんとはっきりさせるってことな。 「何?」  あのおじちゃんはお前を愛してるワケじゃない。これははっきり断言しておく。お前じゃなくても金を渡して脱ぐなら誰でもいい。誰でもな。優しい言葉に惑わされるな。お前のデカガキと兄ちゃんの声がお前に届いてないだけだ。どういうワケだか知らんがな。  キュアッドリーは銀髪の女を睨んだ。彼女は受け流すように肩を竦めた。 「でも、可愛いって、いい子だって言ってくれるんだよ?えらいって…」  そんな簡単に吐かれた言葉を信じるな。まだガキには分からねぇ?重いんだよ、相手に本当に分かるように、響くように伝えるってのはな。全然違うところから受け取って、真に受けちまう。面倒臭ぇな。どうだ?まったく関係ねぇあたしの言葉はお前に届いたか?  女は悪そうに口角を上げた。 「でも…」  デカガキはお前をきっちり認めてるし、まぁちょっと口を出し過ぎてるのはヤツもガキだからな。兄ちゃんもしっかりお前を看てる。あとはお前の考え次第だが。  キュアッドリーは縮こまって口を噤み、俯いた。少し冷えたピザを紙皿に置く。  難しい話だったな。あたしもその歳の頃にゃ気付かなかった。いつか分かるかも知れねぇし、いつになっても気付かねぇかも知れない。ただ、ものが見えて来ちまうと、あれは、お前が求めてるような形の愛じゃねぇな。言葉にしねぇと不安か。  キュアッドリーは躊躇いながら頷いた。銀髪の女は鼻で嗤うこともなく、壁の流水音に紛れて静かに「そうか」と言った。それから「わたしの性分(ガラ)じゃねぇけどやってみるよ」と言った。何か落ち込んでいるような感じがあった。返答を間違えたのかも知れない。嘘でも理解したふりをすれば良かったのだ。 「ごめん」  お前に謝られる筋合いなんざねぇよ。悪かったな、これはわたしの後悔に過ぎねぇわ。  女は明日の予定を告げて内線の使い方を教えるとキュアッドリーの返事も待たずに出て行った。扉の音を聞くとキュアッドリーは心細くなった。ひとりの入浴にひとりの歯磨き。きちんと磨けたか確認する兄も、磨いてやる弟も磨いてくれる保護者もいない。大きな歯ブラシは使いづらく、数回分しかない小さな歯磨き粉は強い清涼感と苦味があった。広いベッドの中で足を擦り合わせる。一緒に寝ることを許す兄も勝手に潜り込んでくる弟も布団を掛けてくれる保護者もいない。寝息もない。おやすみと言う声もない。平たく弱い滝の音が枕元から聞こえるだけだった。ベッドの真横のガラスの壁には目隠し代わりの植え込みと夜空が見えた。早く慣れるのだ。3人に美味い飯を腹一杯食べさせたい。新しい服を着せたい。祠官学校に行けとはもう言わない。それなら4人でどこか、近くでいい、4人で揃って散歩をしたい。デュミルに家族の思い出を作ってやりたい。高く登る月の光は強かった。何度眺めて眠ることになるのか分からなかったが、慣れなければならない。たまには帰れるはずだ。会おうと思えば時間を作って会えない距離でもない。青白く照らされたシーツの上で誰に教えられることもなく勝手に身に付いた心願(いの)りの簡易的な所作をとってキュアッドリーは枕を濡らしながら布団に包まれた。

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