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第7話
燃え上がるような感情と体温が暫くレーニティアを放さなかった。ディレックは彼の汗ばんだ両手を何度も握り直す。どちらが熱く、どちらからそれを与えはじめたのかも分からずに体温を共有していた。口付けに頭がぼんやりとして夢中になって彼の舌と繋がる。甘さと柔らかさに身体が形を無くしたようだった。レーニティアの鼻から抜けていく声がさらにディレックを翻弄する。
「ぁ……ぁっ、」
トイレの扉が叩かれ、ディレックは我に帰ってレーニティアを放した。彼の眼差しは蕩けきって唇は互いの唾液で濡れそぼっていた。
「後から出てきて」
廊下にはデュミルがいた。腹が痛いのかと問うた。ディレックは否定してデュミルをトイレから遠去けた。小さな頭は兄を見上げたまま歩く。転ぶぞ、と注意した。
「ディル、なんかいつもとちょっとちがうかんじしと」
「そうか?別に普通だろ」
「めがうるうるしてん。なんかちょっとあかね」
幼いながらも美しく青い大きな瞳を見ていられずディレックは顔ごと目を逸らした。
「レニちゃは?」
「そのうち出てくる」
「レニちゃおなかいたい?」
「まぁ、そんな感じだよ」
デュミルは不思議そうにディレックを見ていた。誤魔化しながら弟の柔らかな髪を撫でる。
「キュディなんであのひとといっちゃったん」
「キュディは、オレたちと違って色々知りたいやつなんだよ。もしかしたら長いこと会えないかも知れない。また帰った時、わがまま言ったらだめだからな」
「キュディのすきにしたよか。キュディといっしょにいたいのディレック…」
ディレックは自嘲を誤魔化すように鼻を鳴らして嗤った。
「デュンも大きくなったら…好きに出て行くといい。多分オレは反対するかも知れないけど、諦めるなよ」
「おれあのがっこういくん」
「……そうかもな」
デュミルをリビング代わりにしている玄関前の大きな部屋に連れていった。キッチンが近く、傍にはロッカーが並び床材も柔らかくなった鏡張りの部屋がある。
「ここで遊んでいられるな?ご飯作るから」
ディレックは小さな手にあまり弾まない室内用のボールを抱かせ、デュミルは頷いた。
「ねぇ、ディレック」
「何だよ」
「レニちゃとけっこんすると?」
「は?何だそれ」
ディレックはぎくりとしたが上手く躱したつもりでいた。
「ディレックがレニちゃとけっこんしないならおれがレニちゃとけっこんしたか」
覚えたての言葉を使いたがっているのだ。ディレックはそう納得した。
「意味分かってんのか?他所で使うなよ」
「レニちゃ、ディレックのことすいとう。ディレックもレニちゃのことすいとう。レニちゃとディレックけっこん」
「レニーはお前のこともキュディのことも好いとうよ。オレだけじゃなか」
デュミルは「すこしちがう」と言った。違くないだろ。反論する。柔らかな茶髪は首を振る。
「レニちゃのディレックすいとう、レニちゃのおれすいとう、ちがう。おれのレニちゃすいとう、ディレックのレニちゃすいとう、ちがう」
ディレックは弟の柔らかな茶毛を梳いた。半分否定しきれない部分をこの小さな子供は見抜いている。
「ンなわけないだろ。家族なんだから」
デュミルは澄んだ瞳でディレックを見上げる。縋るように腕を小さな手で引かれ、兄は弟へ背を屈めた。唇に柔らかな感触が当たる。咄嗟に手が出て幼い身体がよろめいた。
「悪ぃ。なんか付いてたか?」
口元を何度か指で拭う。デュミルは満足そうな目付きで兄を見つめ茶髪を靡かせた。
「かぞくなんだもんね」
へへ!って笑ってデュミルは壁を向き、ボールを投げる。次弟は内気だが、末弟は変わり者だった。ディレックはキッチンに移動する。シーツを抱いたレーニティアと鉢合わせ、互いに見つめ合ってしまう。視線を切り離せないまま頬を赤らめた彼に近付く。足は吸い寄せられているみたいだった。シーツを抱える腕に手を当てた。彼はいつでも体温が高い気がする。翠色の瞳が逸らされ、しかし紅い目は逃さない。背伸びをする。俯いて陰りながらも強烈な印象を残した唇を奪えそうだった。
「シーツ、洗うな…」
ぼそりとレーニティアが呟き、ディレックは我に返る。
「あ、うん。任せた」
遅れて運ばれてくる風は家族の匂いを纏い、そこに混じったレーニティアの匂いに目眩がした。火照った肌が冷めていく。まだ触りたい。シンクに手を付いて彼の顔をみた瞬間から身を焼くような高ぶりを落ち着かせるまで動けそうになかった。
その晩、ディレックはデュミルと寝たはずだったがベッドの中に弟の姿はなかった。何もないシーツを掻いて目が覚め、消えた体温に頭は一瞬で冴えた。
「…んぁ、ぁっ…」
隣の隣のベッドから聞こえる押し殺し切れていない押し殺した声にディレックは眦がはち切れそうになるほど目蓋を広げた。
「ん……んん、」
月の光が強く入り、部屋は青白かった。聞こえるのは自身の息吹とレーニティアの乱れた息遣いで、激しいスプリングも衣擦れもこれといって無い。しかし、ちゅぱ、と音がしてディレックは思わず確認してしまった。窓から漏れた光の当たらない枕元に横たわった翠色の瞳とぶつかる。悩ましげに寄った眉間と潤んで細まった目に囚われてしまう。レーニティアの布団は盛り上がり、彼は何かを抱いていた。
「ぁぁ…ッ」
長い睫毛が閉じる。もぞもぞと布団の中のものが動いた。ちゅぱ、とまた音がした。
「あぁ…ん、」
レーニティアとの交わった視線が途切れ、彼は首を仰け反らせた。ディレックはもう一度シーツとダウンケットの狭間を掻いた。やはり末弟はいない。レーニティアの身体を覆う掛け布団の盛り上がりが動いた。
「ディレックもレニちゃのおっぱいすったらよかとです」
厚みのある布越しに聞き慣れた弟の声が曇って聞こえた。
「んぁ……そん、な…ディル…っんん、」
レーニティアの眼差しには熱が籠り、何度か力強く瞑目した。
「ディレックもレニちゃのミルクすう」
悪趣味な冗談にディレックはデュミルをどう注意したものか迷った。レーニティアは身をびくんびくんと波打たせ胸元に抱いているものを撫で摩る。
「ディレック…」
甘えるような声で呼ばれ、懇願するような翠の目にディレックは固まった。銀髪の美青年から真っ直ぐに向けられた表情が切なく歪み、黒髪を雑に掻き乱しながら上体を起こしベッドから降りた。弟が邪魔しているベッドの傍に寄り掌を差し出した。
「手、出せよ」
魅惑的な唇を彼は惜しむことなく噛み締め、汗ばんだ大きな手が乗った。何度か肉感で遊び、指を絡ませる。骨の感触や皮膚の張り、肌に染み渡る熱やしっとりした汗がディレックを飽きさせなかった。
「ディ……ル、」
デュミルが入っているらしき布団の膨らみが小さく蠢く。翠の瞳はディレックから離れず細まった。彼に興奮が伝わってしまいそうで、しかし強い欲求が大きな大人の手を離せなかった。高い声が微かに混じった息を吐きながらレーニティアはディレックの名をこぼす。
「ディルもレニちゃのミルクすう。おれレニちゃのミルクすいとう。ディルもレニちゃのミルクきっとすいとうね」
布団の蛹 からデュミルは何も知らなそうな顔を現した。幼い末弟の手はレーニティアの胸を揉んだ。
「あ…っ、」
「よせ、デュン。レニーは、」
デュミルは白い液体を垂らした手を口元に運んで赤い舌でちろちろと舐めとった。
「な、にして…」
「デュン…ああ…ディレック……」
「ひだりはディルのだよ」
デュミルは可愛らしい顔の上目遣いで兄を捉える。
「よせ、デュン。手を洗って寝るんだ。レニーも……レニー?」
潤んだ目が青白い月の光でさらに輝き、伏せられた睫毛や息を詰まらせ声を漏らす彼は不思議な色香を放っていた。
「…胸が、張るんだ……」
デュミルの小さな唇が弧を描いた。レーニティアは苦しげにディレックを見上げて、両腕で自身の身体を抱いた。
「デュンには母乳 を吸い出してもらっていて…」
「……は?」
「おれもうねる」
幼い弟はベッドから飛び降りてディレックの寝ていたベッドに潜り込んですっぽりと布団をかぶってしまった。レーニティアはディレックを見ようとはせず、しかしディレックは俯く銀髪から目が離せなかった。捲られた寝間着の裾が落ちて胸を隠す。
「レニー?」
彼を萎縮さすてしまう静けさを破る。努めて優しく名を呼ぶと月の光で眩しいほどに照る銀色の髪が横に揺れた。
「…ディレックも寝ていてくれ。起こして悪かった」
ベッドから立ち上がる彼の腕を掴んで引き留めた。普段から何気なく、何の意図も他意もなく触れているはずだった。だが掌に重なった肉感にディレックは弾かれたように手を離した。
「どこ行くんだよ」
動揺を悟られまいとしてもどこか態 とらしい感じがした。
「どうにか、してくる…」
「どうにかって……」
彼は胸を押さえた。何気ない仕草に思われたが服越しに自分で触れただけでも美しく精悍な顔立ちが淫らに歪んだ。
「オレも行く」
「い、いい!寝ていてくれ。もう夜も遅い。それに眠いだろう」
「目、覚めたし」
翠色の双眸は困惑していた。だがディレックは気付かないふりをして改めて彼の腕を掴む。行く場所は聞かずとも分かっていた。玄関を入ってすぐの向かい合った応接用のソファーで、そこに腰を下ろすレーニティアの緊張が痛いほどディレックにも伝わる。肩に手を置くといくらか普段より熱く汗ばんでいる肉体はびくりと跳ねた。
「いつから?」
「…今日が初めてだ」
レーニティアの嚥下が聞こえる。ディレックからは見えなかったが一度隆起したであろうその首を鮮明に思い描いてしまい噛み付きたい欲求に駆られた。喉が渇いている。何か飲みたい。しかしそれは水では物足りない。
「……まじか」
銀髪の奥の焼けた肌を真っ赤にしてレーニティアは頷き、もじもじと上体を、主に胸部を揺らめかせた。互いに黙っていると彼は寝間着の上からおそるおそる自身の胸を揉みしだき始める。ディレックは口を半開きにしていた。
「ぅ……んん、ぁ…」
妖しい触れ方で寝間着の両胸は忽 ち片方ずつ一点から色を変えていく。
「レ、ニー?」
「…っ見ないで、くれ……ディリー、あっあ、んん……」
か細い声でレーニティアは普段とは違う呼び方をした。甘い響きを持って、彼は両胸を触りながら腰をくねらせる。
「胸が、苦しくて……我慢できない………っんぁ、」
眼前で悶える姿はディレックを燃やす。何故自分で完結させようとするのか、怒りにも似た。頼って欲しい、縋り付いて欲しい。我儘にも、独占欲にも似た。布の上から突起した箇所を指で捏ねたり摘んで扱く手を止めた。
「レニー、オレが吸い出す」
「ぁぁ…ディル……」
蕩けた目はすでに懇願を灯している。ディレックは手を握ったまま寝間着を捲った。色付いて擦れてさえいる肉粒が主張していた。毒々しいまでの鮮烈な雰囲気を漂わせ、白い液体で泣いている。
「痛かったら言って」
胸全体を撫で回しながら特に多く白乳を流す左の突起を口に含んだ。全身を突如襲った地響きのような衝撃に眉根を寄せる。舌の上にわずかな甘味を帯びた生温かい液体が広がる。舌先で小さな膨らみを突ついた。
「あぁ…っ!ディル…!」
黒い髪を撫でられ、後頭部を抱き寄せられる。レーニティアの匂いが鼻を満たす。彼の肌から手を離せなかった。すべての皮膚を重ねたい。乳が渇きを潤していく。降ってくる艶やかな声が胸の先端を嬲る舌と柔らかく噛り付く唇を煽った。胸筋を揉む手が目的を変えて汗の滲むしなやかな身体を撫で摩る。
「ディル…ディル…!ぁ、ああ…」
彼は背を弓形に反らせディレックの口には強く胸部が押し当てられる。すべてで余すことなくこの男を感じたくなりその欲望は抑え難く、胸から口を離さないままレーニティアの腕を掴んでソファーの座面へ押し倒してしまう。
「ディル…?」
「…ごめんレニー」
怯えた目をしたレーニティアへ口の中に残った彼自身の乳を舌ごと流し込む。
「ぁんぅ…」
「っ、」
頭がぼんやりした。夢のような夢にも思えた。脳髄まで溶かすような甘さを貪る。レーニティアの腕が背に回り、彼になら抱き締め殺されて潰れても良いと思った。片手は胸に戻し、もう片方の手は硬い銀髪を梳かずにはいられない。体温を共有した気がした。汗ばんで、ひどく暑い。指は白蜜で滑りを良くし、凝り固まった粘膜の粒を容易に弾いた。
「あ、あ、あんんっ」
絡んだ舌を押し除け透明な糸を垂らしたままレーニティアはディレックから口を逸らす。だが逃がさない。彼の舌を喰んで咥える。思考が霞んだ。衝動が抑えきらない。レーニティアに対する混乱した感覚と感情に惑いながらも匂いと体温と掠れた声に奪われていく。ただこの保護者のような青年の肌に入りたいという欲ばかりが募る。
「ん、んん、っ」
下腹部が火傷しそうだった。
「でぃ……る、」
泣きそうな声で呼ばれディレックは慌てて口腔を離した。婀娜めいた兄のような青年の姿に目を見開く。
「ぁ…ディル……違ァ、」
止められない興奮が勝手にレーニティアを抱き締めてしまう。
「ディレック…?」
言葉が出てこない。寝間着の下の昂りを同じく滾りをみせている彼のそこに擦り付ける。
「待っ、ぁ…」
ぴゅる、と晒したままの胸から乳が噴き出た。殴られたような、眼球を壊す閃光のような光景だった。擦り付けるだけでは足らなくなり彼の硬い膨らみを掴んだ。
「ディレック!待って、ディレック…っ!」
熱い雄芯に連動してぴゅる、ぴゅる、と胸部が白く濡れていく。次第に噴き出ることはなくなってそこは号泣し始める。感情を凶暴に殴打され続けるような激烈的な視覚情報にレーニティアを扱く手は止まらない。
「あっあっあっ!」
腹に滴り落ちる乳を舐め上げる。胸も脇腹も肩も首元も関係なく啄んで肌を吸う。触られていないディレックの燻りが疼いた。下着に押さえ込まれ圧迫される。刺激しているのはレーニティアのものだというのに育っていく硬さに触れてもいないそこが漲った。
「あっあぁ……ん、ディル、」
物足らなさをその翠色から見出す。扱く手を速めながら白い蜜を垂らす実を舌で転がして唇に挟んだ。びくんっ、と大きく彼の上体が跳ねた。
「だめ、だめ、ディル…!」
困らせたくなる声音をしていた。感じやすい場所から手を離し、胸だけを執拗に捏ね繰る。
「ディル、だめ……!ディル、おっぱいが…ぁんっ」
「イって」
「あ、やぁあ…っんッ、イく、」
口腔に濁流が押し寄せる。下腹部もじわりと濡れ、数度に分けて白濁した粘液を噴く。
「ぁ…ああ、…ンん、」
レーニティアから溢れる乳を飲みながら口を窄めて搾り出す。
「まだ治まらない?」
答えを聞かず唇で肉粒を食み、指の腹で挟み磨り潰す。
「ディル…」
激しい余韻に浸っているようで彼は乱れた呼吸を整えていた。
「…綺麗」
熱い吐息を唇で塞ぐ。ディレックの発育途上の身体に大きな手が頼りなく這った。触れるだけの口付けを解くと潤んだ翠玉からディレックに接吻する。
「もう、止まったみたいだ…」
「シャワー浴びよう。ベタベタだろ」
汗で光る腹や胸は乳と精液で白く汚れていた。肌を拭って舐めた。レーニティアの味がした。彼は顔を真っ赤にして注意する。
「ディルが先に入れ」
「一緒に入ろうぜ」
「…それは、ダメだ」
ディレックは眉を顰める。見られたくない傷でもあるのだろうか。レーニティアはまだ顔を染めたままで俯いた。
「レニー?詳しくは訊かないけど、オレに言えないことでもあるのか」
エメラルドを嵌め込んだ目が大きくなる。大袈裟なほどに銀髪が揺れた。
「違う…」
レーニティアは機嫌を窺うようにディレックを覗く。
「レニーのこと責める気ないから。言ったろ、オレに甘えろって」
カーテンのような銀糸を掬い、髪に掛けた。
「それでも、嫌?」
額と頬に口付ける。レーニティアは頭を動かして健気なキスから逃れると黒髪に守られた額に額を合わせた。
「最後まで、したくなっちゃう…から、」
紅い目を見開く。最後まで。最後までする。それが何を意味するのか分かるようで、疑いも残る。
「だから、駄目だ」
互いの息遣いも鼓動も体温も感じてしまうほど接近していたがレーニティアのしっかりした手がディレックを離した。
「いいよ。オレの身体でレニーが癒されるなら、オレは構わないし、そのほうがいい」
躊躇いがちに触れようとするレーニティアの手を握り、ディレックは自らの頬に添えた。
「最後まで、する?」
惑乱を濡れた小さなエメラルドの中に見る。
◇
いいのか、そんなんで。ビフテキくらい食わせてやる算段だったんだがな。
観光都市の明るさで空はただ暗く、孤児院では飽きるほどみた星空などここにはなかった。だが地上の明るさのほうがキュアッドリーは落ち着いた。孤児院では寒い時間帯がここでは人々と照明に温められ、寒さは感じなかった。
キュアッドリーは銀髪の女と、外に並べられたテーブルで河を往くゴンドラや少し離れた広場の音楽隊の演奏を聴きながらドネルケバブを食べた。
「うん…食べてみたかったんだ。お金貯まったら、ディルたちにも食べさせてあげたい…」
子供ならヨーグルト味にしておけ、という店員の言うことを利いて、定番の辛口 ソースをやめた。ローストされた羊肉に染み込んだ香辛料がヨーグルトの微かな甘酸っぱさを引き立たせる。刻みキャベツも美味く口腔を潤し、際立った食感を与えた。銀髪の女は渋い表情をした。グリーンやパープルに反射している角張った眼鏡の奥で切れの長い吊り目が衣装の凝らした建物でも、洒落た服装の船頭でも、華やぐ観光客たちでもなく、キュアッドリーを眺めていた。しかし何か用があるというわけでもなさそうだった。
そうだな。
同意とはまた別に何か独りで考えを纏めたように呟いた。左手の薬指に嵌る指輪がゲバブ屋や他にもクレープ屋やアイスクリーム屋、肉串屋などの出店や街灯によって輝いている。
「先生も、連れて行きたい人がいるの?」
先生呼びは慣れないらしく眉間の皺が濃くなった。しかしそれが怒っているのではないらしくキュアッドリーはそこに何の感想も抱かなくなっていた。
さぁな。
銀髪の女は嫌味ったらしく口の端を吊り上げた。答えないものかも思ったが、1人か2人かはいるんじゃねぇの、と曖昧に言った。
「ぼくはみんな連れてきたい。ディルもデュンもレニーも」
欲が深ぇな。大人になると難しいんだよ、人間関係のシーソーゲームってやつは。
嘲笑い、冷やかすような口調は彼女の中の本心すらも誤魔化すようだった。
「レニーも?」
銀髪の女は肯定の形で即答した。
「でも家族だから、選べない。デュンは一番小さいし、ディルはいっつもぼくとデュンに付きっきりだし、レニーは仕事…忙しいし…」
レーニティアのことを考えると気分が悪くなった。咀嚼していた物が味を無くす。腹が減って、どうしようもなくなって口に放り込んだことのある砂と同じ感じがした。変わらず保護者代わりの青年のことは大好きだというのに名前の付けられないある種の重みがのしかかる。見たことのない貌をして、聞いたことのない声で、言ってはいけないような言葉を吐いていた。
腹でも痛ぇのか。
サイドメニューにあった炭酸レモネードの紙コップの奥で腕を組む彼女は興味無さげに問うた。キュアッドリーは否定する。
「レニーのこと、大好きなの。大好きだけど、大好きなんだけどさ…」
銀髪の女は少し冷たく迷える男児を見つめる。ヨーグルトゲバブを食べる手が止まり、紙の包みが音を立てる。
よせ、よせ、考えるな。まだお前の中には経験がねぇんだよ。いくら頭 が良くてもこればかりはな。
「変なことじゃ、ない…?」
キュアッドリーは不安げに訊ねた。銀髪の女は肩を竦める。
変なことじゃねぇって返すのは簡単だ。今のお前にとっては変なことに映るかもな。
紅い瞳はレンガの敷き詰められた地面を泳いだ。景観を保つため、道や河に捨てられた塵はすぐに拾われる。量や物によっては報酬にもなるらしかった。
一個人の見解と場所と時代と理由による。個人対応で、一概には言えない。
沈んだ男児に銀髪の女は面倒臭そうな表情をした。
嫌ならあの兄ちゃんに辞めてもらえ。ただしあのガキどもは引き取る。あの兄ちゃんが自分1人で生きていくなら日雇いで十分その日は食える。
紙コップの中の炭酸飲料を一口飲んで女は言った。
「ぼくはそれでもいいと思ってる。でも、」
長兄が許さないことは彼女もよく承知しているようだった。
カラダ売るってのは楽げに思 えて楽じゃねぇんだろ。多分な。あたしにゃ他人の仕事を語る筋合いはねぇ、か。
緑色の鋭い目は広場の方の特に明るい光のほうに留まっていた。
「だからレニーは…」
キュアッドリーの呟きはま演奏に消えていく。
やっぱビフテキ食うか。
女は紙コップを呷る。あの店が美味いだとか、ソースは焦がしガーリック醤油 が合うだとか話した。
「先生の弟みたいな人、幸せだったろうな」
言うじゃねぇか。
鼻で嗤い、彼女は意地の悪い顔をして前にのめる。陽気な演奏が不釣り合いだった。
大きく育っちまうと、貰い手は大きく減っちまう。家庭の色 ってやつに適応するならやっぱり若いほうがいい。お前はお前次第で州局 が引き取れるが、あのデカガキでもギリギリなくらいだ。
嘲笑を解いて銀髪の女はいくらか真面目な調子で話し始める。キュアッドリーが翳りを見せるのが愉しいらしかった。
お前に話した野郎はあのデカガキよりもずっと大きかった。引き取られて、返されて、大聖堂で死んじまった。崩落の下敷きになっちまった。
へ、へ!と女は珍しく笑った。
野菜の世話、聖堂と墓地の掃除、あたしは粗末な晩飯を作ってやることくらいしか出来なかったが、それで十分楽しかった。金持ちの家に引き取られて家族ができる、それが幸せだと思ってたのによ、死んじまったな。挙句にはあの野郎 が聖堂を爆破したなんてお偉方は言いやがる。
女は紙コップを潰して、はは、と吐き出すように笑った。キュアッドリーはある種の痛々しさをみせる銀髪の女を黙って見ていた。
見殺しちまったのかもな、ある意味ではな。わたしが引き取れば、まだ生きてたのかも分からん。どっちを選んでも後悔しちまうな。
キュアッドリーは街の光に煌く彼女の指輪を追っていた。
「その指輪は、その人から貰ったの?」
銀髪の女は指輪を隠した。これは違ぇよ。彼女は突然、普段の冷静な態度に戻り素っ気無く答えた。慣れてきても尚彼女の放つ威圧感が無くなっている。
「先生」
ンだよ。
ヨーグルトゲバブを齧る。まだ腹に入りそうだった。彼女は無理に平生 の鋭さを装っているようだった。
「ビフテキ、食べたいです」
角張った眼鏡の奥の目が見張られた。直後に挑戦的な笑みが浮かぶ。
「グレン州産ビーフの腰肉男爵 で焦がしガーリック醤油 の中途半端生焼 のやつ…」
目の前の女が勧めたものをそのままねだった。彼女はまた鼻で嗤った。
いいぜ。でも食い切れんのか。
キュアッドリーはまだヨーグルトゲバブも食べきれていなかった。女はいつもどおりの陰湿な笑みで、半分やるからお前はパフェでも食ってろと言った。
◇
自分よりも大きな身体を壁に押し付ける。シャワーが肌を打つ。引き締まった尻が腰をぶつけるたびに跳ねた。肩や背の筋肉や骨格に見惚れてしまう。粘膜が摩擦する悦びに震えながら水滴の踊る皮膚を抱く。以前遠目に見た野良猫の交尾を今自分がやっている。相手の腰を掴んで固定し、自ら下半身を当てている。あの日交尾をしていた野良猫になったようで興奮した。レーニティアを快楽と安堵に溺れさせる道具でありたいはずが、彼の返すうねりがディレックに我意を持たせてしまう。意思を込めて熟れた蜜襞を穿ってしまう。彼の甘い声を求めて胸の先端に触れてしまう。
「あっあっ…ディレック…!」
タイルに額を当て、濡れて色の濃くなった髪が揺れる。
「気持ちいい?」
「気持ちいい……ディレック…、気持ちいい…」
彼より先に限界が見えてしまいそうだった。根元を指で絞る。動きに違和感が出て、挿入も浅くなる。
「ディルは、気持ちいい、か?」
心配げな眼差しが肩越しに振り向く。
「すごく、気持ちいい」
引き締まった双臀がディレックの腰に自ら衝突する。
「…っレニ、ぃ、」
「出して、ディル。お前が気持ちいいのが、一番、興奮する」
奥深くまで引き絞られ、彼の道具として徹しきれず肉を掴んで抽送する。
「ぃ、んんっ…!」
輪状の筋肉に擦られディレックは想い人の中で果てた。脈動に呼応して離せない肉感が痙攣し、弛緩した。タイル伝いに崩れ落ち、彼を支えた。白濁が排水溝に流れていく。まだ呼吸が整わないうちにどちらからともなく唇を重ねる。止め処ない欲望と衝撃と、それを包み込みたい穏やかさに襲われる。簡単な言葉で纏められそうで、口に出せずにいる。シャワーが全身を打ち、レーニティアの濃い睫毛には雫が絡む。離れようとすると大きな掌が頬に添い作った距離を埋めた。彼は一言謝って、ディレックは自分から離れたくせ、再び角度を変えて唇を塞いだ。
「嬉しい、ディレック…」
睫毛に絡んだ水滴が流れに乗って筋を作った。
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