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第11話
ディレックの手に黒い鳥が停まる。首を細かに傾げながら紅い目が同じ色の瞳を覗き込む。枯れ草の生い茂るクレシエンテ岬から海と空の境界を遠く眺めていた。胸から石を生やして死にゆく自分にそっくりな少年と、そしてここから飛び降りた少年。カラスはディレックを何度も眺めて、彼はその狭い頭を撫でた。
「幻想 なんだって、オレ」
石を生やした少年にはレーニティアに瓜二つの青年がいた。ディレックは膝を抱く。この岬から飛び降りた少年は独りだった。潮風に吹かれながら重ねた腕の上から顔を上げる。独りの少年は大聖堂を飾っていた円花窓に憧れて飛び降りたのだとカラスは視せた。ラップの掛かったオムライスの記憶まで流れ込んでくる。彼はこのオムライスが好きだった。母のようで姉のようで、父ともいえ、兄らしくもあった大聖堂の管理人が作っておいてくれるのだった。向かい側でそれを作った人物が座った。ディレックの知っている姿とは少し違い、その管理人は長い銀髪を後頭部で団子状にして纏めていた。髪型は違えど緑の瞳が佇む目付きや口角の上げ方はそのままだった。
「腹、減った…な…」
腕に乗っていたカラスは空に戻り、ディレックは立ち上がって草を払った。バスに乗り、図書館で調べ物をしてからスーパーに向かう。ほぼ年の変わらない養父候補から貰った見たこともない虹色の紙幣で生クリームと卵、コンソメキューブ、そして一度食べてみたかった美味いと評判のグレン州産のパック米飯のセットを買った。少し重かったがそのまま州局に向かう。受付で名も知らない女を説明すると対応していた者は誰だか分かったようで話題の人物を呼び出した。相変わらずの顰め面で女はディレックを見下ろす。
「オムライス、作ってよ」
レンズの奥の目が大きく開き、そしてゆっくり伏せられ、彼女は笑った。
レモンオムレツか。いいぜ。
「キュディの分もあるし、余った材料はやる」
女はディレックから買い物袋を預かった。重かっただろう、と言って歩く姿を見ると目蓋の裏が熱くなった。ヒールの音を追う。彼女は宿泊棟の一室に入った。「行き場がないなら、泊まって行くか」と言って女はキッチンスペースに立つ。何度か使った形跡があった。子供用の焼き菓子を作る粉だの、トッピング用のドライフルーツだのチョコスプレーだのが閉じ方も甘く転がっている。キッチンスペースはそういった有様で生活感があったがリビングエリアやベッドエリアはアクリル樹脂らしきパーテーションや観葉植物で無理矢理に垢抜けさせた感じあった。壁はガラス張りでベッドヘッドに近い壁は天井から一面に水が落ちてくる仕組みになり室内に流水音が四六時中聞こえている。
「キュディのこと、ありがとな」
袋の中身を確認している女は鼻を鳴らした。ディレックはその横顔を見上げる。口元は意外にも柔らかく笑んでいた。彼女はパックを開けて水を少量、艶のある米に垂らすと電子レンジに2パック入れた。
弟には会わないのか。
銀髪の女はディレックを見ることなくフライパンやボウルを用意した。
「うん」
そうか。
散らかったものを小型の冷蔵庫にしまい、ある程度料理をする空間を整えているうちに電子レンジが鳴った。フライパンに油が引かれ、パックが逆さになって米の塊が落ちた。この地から遠い西の果てにあるグレン州は米を主食にしているらしかった。ディレックがよく見てきたものよりも滑らかなフォルムで白い感じがした。掻き混ぜられ、コンソメキューブもそこに入った。女は暫く米を炒め、器用に合間をみてボウルに卵を割った。米の様子を見ながら卵液に生クリームが適量入る。ディレックは壁に寄り掛かってぼんやりと眺めていた。
「故人を悼むにはさ、その人が好きだったものとか、食べたがってた物を食べるのがいいって言うんでしょ」
ディレックはぼそぼそと話した。そういった類の話は曖昧で、漠然としていて、抽象的で、次々と屁理屈に似た疑問が尽きず、苦手だった。しかしながらそのような思想もディレック自身のものではないらしかった。誰かが典籍から学び、何者かが祠官から説かれたものを噛み砕き、ディレックの中に染み込んでいるものだった。また或る人物は「そんなものを言う相手が居なければ悼まれることもないのか」と怒鳴る。ディレックはフライパンを傾ける後姿を、水上都市で父親が子供にレンズを向けている時のように眺めていた。
誰か、亡くなったのか。
女は訊ねた。ディレックは否定した。彼女は「そうか」と一言だけ残してまた黙った。消える前に言わねばならない気がした。いつ消えるかも分からない。この場に立ち、足の裏には床の固さがあり、背中には壁の平さがある。天井の影に重なって、女に声は届き、後姿は他者のために意外にも手間のかかる料理を作っている。
「あのさ、変なこと言うかもなんだけど…オレ、消えるかも知れないんだわ。夢っていうか、建物っていうか、なんか、とにかく、人間じゃなかった」
生え際は黒くみえる銀髪は振り返らない。髪型は違うがその腕の揺れ方は懐かしさを覚える。
知ってる。
彼女はディレックの予想よりも遥かに落ち着いていた。ふざけ過ぎた冗談だと叱られることさえ想像していた。
「いつ消えるか、分からない。今かも知れないし、明日かも、明後日かも」
やっと女は振り向いた。ただディレックを一瞥するだけで、またフライパンに戻る。
ンなのは、あたしたちでも一緒だよ。ウサギでもネコでもサカナでも。
食器が食器にぶつかり高い物音がたつ。フライパンの上にこの地へ自分を解き放った少年が食べていた黄色の小山がテーブルに置かれた。
言ってくれりゃまた作りに行く。ふわっふわにする方法があんだ。米 も赤くしてさ。勉強しとくよ。
女はキッチンスペースの前にある2人掛けのキッチンテーブルセットの椅子を引いてディレックに座るよう促した。ケチャップをかけて鈍色のスプーンを入れる。調理者はまたキッチンスペースに立って卵を溶き始めた。音を聞きながらスプーンで掬った玉子の膜の乗ったグレン州産の米を口に運ぶ。頬の内側に制御が効かなくなる。
「なんて言ったらいいか、分かんないけどさ…ありがとな。あんたに救われてたと思うんだ。神とか心願 とか天恵 とかより」
女はただ「そうか」と返すだけだった。出来上がったもうひとつの黄色の小山にケチャップが波を描く。食ってろ、と言って皿の横にスプーンが添えられ、彼女はディレックの前を離れる。
「だから、ほんと、ありがとな。オレはその人じゃないけど、流れ込んでくるから」
扉の閉まる音がした。食べ終えて、皿を水場に戻す。
◇
デュミルは翠色の玉を指で転がしながら隣で眠るレーニティアを眺めていた。足が揺れベッドを叩く。ディレックは無事に目覚めたが未確定な経済状況、家庭事情を考慮して州局で一時的に保護されることになり、帰ってこなくなってしまった。面会謝絶らしい。しかしあの長兄がそのようなことをするはずがなかった。会いに行けば必ず会ってくれるだろう。確信に近かった。そしてデュミルの染みついてしまった自信でもあった。
足音が寝室に近付く。祠官学生だ。カーバス祠官学校の制服が入ってくる。
「ミリーくん、こんにちは」
エイジスと名乗っていた学生はレーニティアの寝姿へ柔らかな微笑みを向け、デュミルの前に片膝をつき、その小さな手に接吻する。デュミルは青い目で崇高な挨拶を冷ややかに見下ろした。この彼の望むような家族になるのなら、あくまでもまだ15、6歳の少年の養子となりレーニティアはその配偶者で、書類上の繋がりは会ったばかりに等しいこの学生とのほうが色濃いものになる。
「1人で待っていらしたんですね。良い子さん。お散歩に行きましょう」
長兄によく似た手が栗色の髪を撫でた。そして振り返り、眠っているレーニティアの手にも接吻する。この保護者はディレックに付き添い、帰ってきてから長いこと眠っている。身を苛むような経済活動を辞め、彼もやっと長い時間が持てている。それはやはり若いながらも大富豪の息子で将来も約束されたエイジスの経済力による支援によるもので、保護者を想うならこの結婚には賛同以外の道がなかった。
長いこと彼は眠り人の手の甲に唇を当て、それから指の関節にも1本ずつ長いこと接吻していた。挨拶以上の意味合いが込められていた。まるでその横顔は絵画のようだった。何かを思い出せそうで、思い出せない。諦めて彼等から目を逸らす。
「さ、行きましょう。夕食は何がいいですか。キュアッドルくんは何が好きでしたか」
エイジスはレーニティアに布団を掛け直し、デュミルの手を繋いだ。ディレックが州局の保護に入り、その間キュアッドリーは夕方に帰宅することになっていた。家族での食事をエイジスはとても重視している節があった。
「アリゴーたい。うむしたポたトつっぴしゃぐってチーズばあさぐるん」
デュミルは身振り手振りで説明した。
「では白身魚のソテーがいいですね。お野菜が少ないので、グリルして塩胡椒でいただきましょう」
エイジスはデュミルの手を引いて外に出た。この長兄とそう年の変わらない養父候補は買い物に出掛けない。宿舎に食材が届くのだった。料理そのものが届くこともある。長兄や次兄とよく行った水上都市のある方角へは行かず、反対の大聖堂跡地や州局のある方向へ歩く。防風林の奥で海原が凪いでいる。
「ティアンは素敵な方です。レッキーくんにも認めていただけるよう日々努めます。彼の全快を願って已みません。ミリーくんも、心願 りましょう」
エイジスはかなり親しい、それこそディレックでさえも呼ばないくらいに親密な仲でしか呼ばないような愛称でレーニティアを呼んだ。結婚は実質的に確定している。デュミルは純真に、何の悪意も狷介さもなく、ただただ厄介な善意によって己の信仰に染めようとする少年を頷きも拒みもせず眺めていた。たとえ5人で家族になれたとしても上手く折り合えないだろうということだけは確信した。レーニティアは後ろめたさから上手いこと合わせるなり、幼い兄弟には話題を逸らすなり、或いは頓着しないかも知れないが、まず間違いなく長兄はこの考えを拒み、軽蔑しながらも抑えてしまうのだろう。次兄は始めのうちは関心を示すかも知れないが兄の抑圧を敏く察知でもすれば気を揉みやがて疲弊するだろう。デュミルのみていた彼等の性分はそういうものだった。
大聖堂跡地はブルーシートに囲まれ、また二次崩落を防ぐために駐車場やその反対の敷地の殆ども立入禁止になっていた。散歩に来るような場所ではなく、かろうじて無縁墓地だけは開放されている。エイジスはブルーシートの前に立ち、その奥のものを目に収めようとしていた。
「この大聖堂で式を挙げたかったのですが。今はいち早い復興を祈るばかりです。ミリーくんが大きくなる頃にはきっともう復興しています。君たちの晴れ姿がもう楽しみで仕方ありません」
養父候補はデュミルを窺う。そして先に進み片膝をついて額や肩に触れ、簡素な儀礼を済ませる。
「崩落しても大聖堂は大聖堂です。価値があるものに変わりありません。たとい価値がなくても、役目を終えたものには敬意を払わねばなりません。どうか、この子に慈恵 がありますよう…」
横で突っ立ているデュミルの髪を撫で、エイジスも立った。デュミルは長兄にタイミングまで似ている手から逃れた。視界の端の無縁墓地に銀髪が揺れ、思わず焦点を合わせてしまう。駆けていく幼い身体を父同然に振る舞う少年が追い掛ける。手入れされていない細枝や枯れた木々の向こう側に橙に染まりかけている海が見えた。女は墓石を見下ろして、デュミルに気付く前に膝を曲げた。エイジスが呼ぶ声で彼女は近付いてくるデュミルを認めた。墓石から何か拾ったその手には保温性のあるプラスチック容器が握られている。ケチャップが内部で潰れ、その下には黄色の膜が見えた。オムライスが入っている。
「なにしよっと」
何ってことはねぇよ。
「こんにちは。-さんですよね、ここの祠官代理をなさっていた…」
エイジスはデュミルの横に立ち、また手を握る。女は祠官学生の爪先から脳天までを無遠慮に眺めた。そして鼻を鳴らし、彼の確認を肯定した。
「自己紹介が遅れました。エイジスと申します」
「養父 たい」
話にゃ聞いてる。でもまだ確定じゃねぇんだろ。
銀髪の女はもうエイジスを見ないでデュミルを睨むように見ていた。
「あとはディレックくんが認めてさえくだされば…」
緑色の険しい眼差しにデュミルは糊塗 するような笑みを浮かべた。
承認がねぇと結婚もできねぇたぁ難儀だな。
刺々しい物言いと底意地の悪そうな笑みで女は祠官学生を見遣り、彼等の脇を抜けていった。
「僕はあまり好かれていないようです」
「養父 じゃなか。たぶんおればい」
エイジスは彼女の遠くなる背中を見ていた。デュミルは反対に枯れた枝や乾涸びた葉や幹の額縁の中に広がる海を眺めていた。
「ごめんなさい、気を遣わせてしまいました。ミリーくんは優しい子ですね」
長兄によく似た指が栗色の毛を擦るように梳いた。潮風がデュミルの丸い頬を毛先で叩く。昼の温かさが嘘のようにこの地は日が暮れると寒くなる。まだ州局勤めの女よりも背の低い養父を見上げる。彼は首を傾げてデュミルを迎える。何も用はないのだと首を振った。
「もう冷えてきましたから、戻りましょう」
孤児院に戻るとレーニティアが寝癖を押さえながら出てくるところだった。キュアッドリーをバス停に迎えに行くらしい。随分と近い距離だった。エイジスも同行すると言ったがデュミルは祠官学校の制服から伸びる手を握った。レーニティアは昼寝から覚めても目元に疲れを残してデュミルたちとすれ違う。「良い子にしていろよ」と大きな掌が柔らかな髪の上に一度置かれた。養父になる少年は「ミリーくんはいつも良い子ですよ」と口を挟む。レーニティアは末子の面倒を婚約者に頼み行ってしまう。その婚約者は去っていく広い背中を見つめていた。
「養父 」
「うん?」
呼ぶと彼はディレックよりも艶も潤いもあるよく梳かされた髪を靡かせ振り向いた。膝に手を当て腰を眺める。迫る紅い瞳と黒い毛先。兄よりも穏やかな目と、柔らかな眉は敵意も攻撃性も無いというのにデュミルは怯んでしまった。ひとつ態とらしい咳払いをする。
「そぎゃんひもあるたい。レニちゃ、ディレックのこつたいぎゃだいじやけん、しんぱいできがきじゃなか。あんまり、きにしなすな」
「ありがとうございます、ミリーくん。僕は君たちのような息子 を持てて、とても幸せです」
突然、カーバス祠官学校の制服が滑稽なものに思えた。街を歩けばバスに乗れば、人目を引き、華を添え、勲章の如く輝かしいものだというのに。民衆の信仰離れは確かにあった。目にしている。しかしその狭き門、洗練された校風、約束された社会的地位は憧れの的であった。実際、長兄は行きたがっている節があった。そして次兄に行かせたがっていた。デュミル自身その選民思想ともいえる校風には穿った興味もある。たとえ州知事の家族真似事 であっても。
「色々落ち着いたら、町で暮らしましょう。5人で。新築ではありませんが、綺麗に改築していただきますから」
ディレックの承認の有無が入る余地はもう無いらしかった。仮に長兄が拒絶をしたところでもう決まったことだ。そしてデュミルの中でもこの養父に決めていた。
「うれしか。ディレックもきっとよろこぶとよ」
その生活は来ない。来たとしても長くは続かない。デュミルは両腕を上げて大仰に喜んだ。
レーニティアの婚約者は消灯の頃に自宅に帰っていった。明日もまたこの孤児院を訪れるようなことを口にしていた。見送りを終えたレーニティアが寝室に戻ってきてベッドに座った。デュミルはキュアッドリーに本を読んでもらっていた。以前は絵を見て想像力豊かな次兄なりに大体の粗筋を補完していたが、今ではすべて読み切っていた。まだ意味の分からない単語はあるようだったがそれでもどういう物語なのかを理解するには十分だった。そして次兄が前まで語っていたものは大分実際のものとは違っていた。傍で聞こえた大きな溜息にキュアッドリーの音読が途切れ、幼い兄弟は同時に隣のベッドの保護者を見た。彼も溜息を吐いていた自覚がなかったらしく、注目を浴びて驚いた表情をした。
「レニー、もう寝よっか。疲れたよね」
絵本を閉じてキュアッドリーは少しすまなそうにデュミルの頬に触れた。
「え…?あ、ああ、寝ようか」
「続きはまた明日読んであげるね。新しいの借りてくるよ、州局にもね、図書館の絵本がちょっとあるんだ」
次兄は絵本を片付けに寝室を出て行った。デュミルは隣の揺れ惑う翠玉を覗き込む。青い瞳に炎が迸った。今討てと啓示を受ける。
「どぎゃんしたん?」
声を掛けると保護者は俯きがちだった顔を上げた。両腕が伸びてきてデュミルは膝に乗せられる。
「いいや、何もない。すまないな。色々といきなりで。ジェスは優しくしてくれるか?」
彼もまたいつの間にかかなり親密な呼び方でデュミルたちにとって養父となる少年のことを訊ねた。訊ねたというよりかはむしろ確認しているようで、疑っている様子はないもののまだ不安要素があるにはあるようだった。
「たいぎゃやさしかばい。レニちゃにはやさしくなかと?」
保護者の顔を見上げる。翠色の目にデュミルは胸を痛めた。何か成さねばならぬことがあるような気がした。聖剣とは名ばかりの古びて脆げで汚らしい刃を突き刺さなければならない胸板にデュミルは頭を預けた。
「優しいに決まっているだろう」
しかし婚約はまるで情事中の脅迫から得たに等しいのをデュミルは見てしまっている。日常的には柔和な物腰で品が良く、素直で礼儀正しいが2人の密な時間になると暴力や罵倒はなくとも、あの婚約者は我を剥き出しにする。
「今までろくに遊んでやれなくてごめんな。これからはたくさん遊ぼう」
小さな頭を胸元に預けたその行動を彼は甘えていると解釈したらしかった。デュミルを抱き締めて保護者は自ら揺籠となった。他人 の家の匂いが少し混じっている。懐かしさに襲われる。しかし鮮明ではなかった。ただ、当然のように自身の周りに馴染む他人の家の匂いに戸惑った覚えとその時に見た、何も関係のなさそうな壁や家具の模様や質感の記憶。日常が変わる特に理由の見当たらない不快感。増えた何の感慨も湧かない家族。キッチンテーブルセットの対面に座るのは血の繋がった家族だったというのに、その日から対面には銀髪の男が座って飯を食う。デュミルはレーニティアを見上げたまま固まる。翠色の瞳が落ちてくる。
「どうした?」
首を振った。キュアッドリーが戻ってくる。寝る時間だ。
「俺と寝ようか。たまには」
「キュディとねとう。レニちゃたいぎゃつかれとるけん、ひとりでねなっせ」
デュミルはベッドから降り、隣のベッドに登った。兄がシーツや掛布団を整え、横たわると、電気が消される。
「おやすみ」
兄が言った。強い力が腰に回る。
◇
保護者が随分と年下の男に抱かれている。ディレックは窓辺に来たカラスから啓示を受ける。鼻血が流れ、目はぼんやりと天井にある一点の模様を凝視していた。次弟と末弟がすぐ傍に居るにも関わらず、気に入らない男はレーニティアを誘い、すぐ隣にある2段ベッドが部屋の3面に設置された部屋へ連れ出した。経済的支援、これが大きな後ろめたさとなって保護者は拒否権を持っていなかった。彼は下段のベッドに押し倒される。欲の無さそうな顔をして、2人になった途端にウサギのような面を剥がし猛獣と化し、浅黒い肌を吸った。怒りでディレックの掌には爪が刺さった。シーツの上で震える。血反吐で汚しそうだった。レーニティアは衣類を剥がされ、蹂躙されていく。長いこと繰り返した仕事は彼の肉体に内面的な澱みを残していた。ウサギの顔をした猛獣も反応しない器官に気付く。カーバス祠官学校の制服とは正反対の真っ白いシャツの袖から伸びる日に焼けていない手がまた反応を示さない箇所を慎みながら揉んだ。気安く触るな。ディレックの拳は血を滲ませ、シーツを引っ掻いた。シーツにも血が付いた。触るな、触るな、触るな。息が激しくなる。カラスが雄叫びを上げ、脳裏にある耐え難い現実が途切れる。青白い月の光がディレックの網膜を射す。暗い部屋は彼が動くまで物音ひとつしなかった。この地ならばたとえ場所を知られても、末弟のその外観からやって来ることは出来ないらしい。子供の1人歩きを条例が禁止しているらしかった。
州知事が用意したこの部屋は見たこともないほど高い位置にあった。どこを見ても摩天楼が聳え立ち、夜でも煌めいている。かなり広い部屋のほかにリビングルームと子供部屋がある。孤児院とは違い一家庭の生活に基づいた間取りになっていた。ディレックはテラス付きの広い部屋にある無造作に置かれたマットレスに寝転がっていた。兄弟や保護者がいなければ家事などまったくやる気も起きず、ゴミ箱には菓子の袋やジュースのパックが分別もされずに捨てられていた。大聖堂の魂であり、生贄になった者の意思であり、何者かがみている夢であると言われそれを半ば信じていても腹は減り、血が出た。だのにそのまま人間としては生かしてもらえないらしい。すぐ下の弟も。テラスの手摺りにまたカラスが止まった。紅い目に見下ろされる。また起きたまま悪夢を見させられる。金のため酷使し、精神まで疲弊し、反応しなくなった器官に細い棒状の物が入っていく。もうレーニティアは全裸で膝を大きく開き、いくら婚約しているとはいえ、他者には見せられない卑猥な体勢で、これ以上何も隠すことはないというほどのすべてを晒している。まるで耳元で囁かれているように感じやすい彼の声が聞こえる。肩や膝を震わせ、銀色の長い釘に似た棒が徐々に、慎重に芯を持てない茎の中に沈んでいく。
『ぅ…ぁ…』
ディレックは初めてみる場所への挿入に驚いた。俯せになっていたため胸を圧迫される。鼻血が床へ落ちた。恐怖と大切な人の身体が傷付き、壊されはしないかと圧迫感は増すばかりだった。
『動いたらいけません。内側から気持ち良くなってください』
ウサギやハリネズミを装った恐ろしい詐欺師は呑気に言った。レーニティアの弱いそこは軸を持たされ、少しずつ棒を受け入れていく。
『ぁ…ぁあ……っうぁ…』
『お胸して欲しいですか』
冷淡に見えて声も口調も穏やかな薄い唇が短く答えた。品の良いスプーンよりも重いものを知らなげな指がどれだけ乱雑に扱われようとも綺麗な形のまま胸を飾る突起に触れた。
『ぁ…あっ、』
敏感な部分を摘まれ大きな肩が傾く。草毟りも石拾いもしたことのなさそうな白い手が咄嗟にその肉体を支える。
『動かないで。ゆっくり、寝ていてください』
肉を捌いたことのなさそうな手は片手で鉄の細棒が挿入された茎を持ち、もう片方の手で浅黒い肌に目立つ薄い色の柔らかな箇所を捏ねる。
『ぁ……っんっあ…』
『お乳が出ていますよ。吸いますね』
ディレックはわずかに動く手でマットレスの上のシーツを鷲掴む。床に滴っている鼻血がまた面積を増やす。
『ぁあ…っそんな…』
『少し落ち着いたら検査してもらいましょう?それまでは僕が吸い出して差し上げます』
皿を洗ったことのなさそうな逆剥けひとつない手にまで白いさらさらした液体が流れた。成長しきった胸や腹にある筋を辿り、分岐しながらも臍まで流れていく。
『このままこちらを、動かします。怖がらないでください。僕を信じて』
罵詈雑言など浮かんだこともなければ口にしたこともなさそうな唇と舌がレーニティアの胸を嬲り、その手は性器に無理矢理作った軸を扱いた。小さな孔から透明な蜜が溢れ、銀色の棒をさらに光らせる。抜き差しされるたび、そこはゆっくりと膨張した。
『……っ、やめ、て、くれ……怖…ぁ、!』
『大丈夫です。大きくなっていますよ。怖くないです』
完全に隆起した茎の裏側はピンのような棒が抽送されるたびに盛り上がり、凹んだ。
『今度からここで気持ち良くなりましょう。そうなれるように頑張りますから』
清廉な印象しかない外見とは正反対の意地悪げな仕草で、白い手は留針に似た長い器具でレーニティアの屹立内部を掻き回した。
『ぃ…やだ…っあっぁあっぅ、!』
『ここ、いいですか』
暑い夜でも寝汗に苦しんだことのなさそうな涼しげな顔は悩ましげに嬌声を漏らすことしかできないレーニティアの顔を眺めていた。形の良い爪と皺まで美しい関節、荒れた形跡のない手が慎重さと勢いの両方を以ってレーニティアを攻めた。根元で張っている双球が軋む。茎と袋の狭間でピンの先端が蠢いた。
『ま、って、く…れ、待って……っあっあっ、あっ!』
孔が小さく動いた。人工的な細芯を通されたまま戦慄く。漏れていた露に白濁が混ざった。ピンが動くたびに白濁は量を増す。レーニティアは身体を引き攣らせた。開いた膝も小刻みに震え、腿が揺れる。腰は逃げようとしているが美しい手が固定する。
『あ…あっああ…』
『素敵です、素敵です、ティアン…』
うっとりしながら彼はレーニティアを愛でる。濡れた翠色が虚空を凝視し、唾液を垂らす唇は誰かの名を静かになぞった。
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