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第5話

 気を取り直してもう一度、その名前を見やる。他の乗客にも見えないよう、注意を払いながら。 『如月蓮司』    この恋は誰にも知られてはいけない。    如月が総務課に異動してきたのは、四年前のこと。その頃は同じ課でもそれぞれ別の係で仕事をしていた。直属の上司と部下の関係になったのは、その一年後のことである。  名雪が如月に最初に抱いた感情は、尊敬。これは疑いようのない事実だと思っている。  穏やかで動揺することも激昂することもなく、それでいて、疑問や悩みに親身に接してくれる様に、大人の男の余裕を感じた。自分も大人の男に違いはないのだが、今のあの人と同じ年になって、同じように振る舞えるかと聞かれたら、肯定はできない。  いつのことだったか、名雪が仕事でミスをした時、如月は怒るでもなく、優しく諭すように、自分の過去の経験を交えて、指導をした。説教の方が、いっそ罪悪感を感じない。ただ、諭すような言い方をされることで、こちらの心情も読んだうえでの、指導をされていると感じる。その心遣いが、嬉しかった。  そんなことが続く内に、名雪自身でもよく分からない内に、この想いをその枠内に収めることが難しくなっていることに気が付いた。如月の人柄を知る中で変わっていったのか。あるいは最初から惹かれていたのかもしれない。    同性だし。  年が離れているし。  直属の上司だし。    悪条件の三連星を前にしても、「好き」という感情を崩すことはできなかった。それどころか付き合いが長くなれば長くなる程、惹かれていく気持ちを抑えられなくなってしまった。もう、認めるしかなかった。    もっとこの人のことを知りたい。  もっとこの人と話したい。  それ以上は望まないから。  三十路に差し掛かろうとしている男が何を乙女じみたことをと、名雪は己をあざ笑った。だが、どうしようもなかった。自分から想いを伝えることなどできるはずもなく、悟られてしまえば、如月に拒絶されてしまうかもしれない。得ることもできない、失うこともできない。それならば、いっそこのままでいることが一番良いのだ。たとえ、一番虚しい関係だったとしても。 「如月さんが、あんなに構うのユッキーが初めてだよ」  以前風間がそんなことを言っていたような気がする。それだけで、十分だった。  名雪はそう思っていた。  しかし、現実は存外、名雪に優しかった。

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