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第9話

「係長あんまり飲まないのに、居酒屋行くんですね」 「失礼な。まあ、そんなに頻繁には行かないけど」 席に通されての第一声がこれとは、如何なものか。そして、それを許容する如月は器が大きい。 「好きなの頼みなよ」 メニュー表は如月が座った席の側に置いてあり、一通り目を通した後で、名雪へと渡した。 好きなものをと言われたが、如月と同じようなものを頼んでも仕方がないので、なるべく被らないように注文する。 そして訪れた沈黙を破るように、名雪はメニューをまじまじと見つめた後、ポツリと呟いた。 「何か、新鮮です」 「え?」 「職場の飲み会は、いつもコース料理だから」 職場での飲み会は、会計の手間を考え、どうしてもコース料理で、飲み放題付きになることが多い。その場合、幹事は、あまり酒を飲まない人間から不満が上がることもあるが、仕方のないことだ。名雪も過去、そうしてきた。 しかし、今日はそうではない。 如月の私服姿もそうだが、そこにもまた、今日は職場でのそれとの違いを意識してしまう。 いつもと違う。恋人としての時間。意識すまいと思って名雪はこの場に臨んだが、最初からこんな調子では、先が思いやられる。 如月の方は普段通りに見える。これが大人の余裕というものなのか。そこも、名雪にしてみれば、少し悔しい。 年齢というよりは、単純に経験値の差なのかもしれない。恋愛偏差値なる概念があるとすれば、名雪の成績は底辺に等しいといっても過言ではない。 そういう意味でも舞い上がっているのは、自分だけなのかと、名雪は恥ずかしく思った。 「お待たせしました」 店員が飲み物を運んできた。 ウーロン茶とレモンサワー。 乾杯はビールで、という二人でもない。如月は基本的に飲まないし、名雪もビールに関して言えば、フルーツビールの方が好きである。これを言うと女子か!と風間あたりにからかわれてしまいそうなので、公言したことはない。 「じゃあ、まずは、お疲れ様」 「お疲れ様です」 グラスが重なる音。 乾杯を済ませてから、喉を潤す。 これがもう少し早く来ていたら、この顔の火照りを酒のせいにできたかもしれないのに。いや、酒を飲んでも顔に出ないことは、既に知られているのだから、通用しないのだ。 そもそも、名雪の顔色はいつもと変わっていない。もともと赤くなりにくいことを完全に忘れている。 他愛ないことを話しているうちに、注文した料理の大半が運ばれてきた。既に結構なボリュームになることが予想できる。 豆腐サラダ、枝豆の天ぷら、海鮮ユッケ、唐揚げ、スルメイカの炙り。 「居酒屋ってなんでこう、うわ、頼みすぎた?って、感じになるんでしょうね」 「うん。少ないかもって思ったんだけどなあ」 「まあ、結局何とかなることが多いですけどね」 取り皿、取り箸を置き、料理を取り分ける。一口、二口と運ぶと、味の良さがよく伝わる。職場の飲み会では、こうもゆっくりと味わうゆとりなどない。 名雪の表情が綻んだところで、如月が話しかけてきた。 「名雪ちゃんは、次の連休予定あるの?」 「予定は、特に入れてないです」 名雪は基本的に、思い立ったが吉日で行動することが多い。早い段階で予定を入れてしまうと、その日が来る直前に妙に憂鬱になることがある。特に人との約束だとその傾向が強い。以前如月も同じようなことを言っていて、二人で笑ったものだ。 「じゃあさ」 気のせいだろうか。いつも落ち着いている如月の視線が、僅かに揺れているように見える。普段と変わらず笑みを浮かべた表情ではあるが、そわそわしているようにも名雪には思えた。 しかし、ここで茶化してはいけないような気がして、黙っておくことにした。 「その休み、俺に頂戴?」

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