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第11話
何だかんだで、約束の日はやってきた。
駅の側にある十階建てのマンション。
そこが、如月の住まいだった。
前回は、たまたま住人と鉢合わせたので、オートロックを何の障害もなく通過することが出来たが、今回はそうはいかなかった。
到着したのは、約束の時間の少し前。思えば、前にこの家に来たときは、とんでもないことになったものだ。
好きか問われ、それに答え、抱き締められ、それだけでいっぱいいっぱいになってしまった。
思い出しただけで、名雪は顔が熱くなるのを感じた。それでも、何とか表情を取り繕い、号室のボタンを押す。馬鹿な話だ。いくらカメラがついているからと言って、顔色までわかるはずがないというのに。
呼び出しボタンを押すとすぐに如月の「どうぞ」という声が聞こえ、中へ招かれる。朝早くということもあり、如月の部屋までは誰ともすれ違うことはなかった。
玄関前のインターフォンを鳴らすと、ドアが開き、如月が現れた。
相変わらず私服姿の如月は見慣れないため、名雪は思わずまじまじと見つめてしまう。元来細身だということもあり、相変わらず中年太りとは無縁の体である。元々が細いのに、太りにくいという無敵艦隊といって差し支えないだろう。最近、体重が戻りにくくなってきたと嘆いているが、名雪からすると大した問題ではないように見える。無敵なのだから、きっと大丈夫だ。
「お邪魔します」
「ああ、いらっしゃい。今日はありがとう」
「あ、いや、お誘い頂いて、光栄です」
よろしくお願いしますと頭を下げた。
暫しの沈黙の後、如月がぷっと吹き出した。
何かまずかっただろうかと名雪がおろおろしていると、突然肩を優しく叩かれる。
「今日はさ、仕事じゃないんだから、気楽にしてよ」
「そう言われましても、俺は」
貴方の部下ですから。
思わず口に出していた言葉。
名雪は、オンオフの切り替えが下手である。
うっかり業務中に関係性を露呈させることがないよう気を付けるあまり、プライベートでもその傾向が出てしまう。
当然如月はその線引きをしており、仕事中はそういった要素は一切出さないが、それ以外の場面では全力で恋人面をする。全力と言っても、名雪はすぐに生まれたての子鹿のように震えてしまうので、中高生のカップルでも鼻で笑うような、ささやかなふれあいなのだが。
年齢の差か、経験の差か。名雪は怖くて聞くことができないでいる。
そんな女々しいことをどうして聞けようか。自分だって、本当のことを言えずにいるというのに。
すると、如月はくすりと笑った。それは、名雪の知る如月の笑顔と異なるものだった。厳密に言えば一度見たことはある。丁度この玄関で、内情をぶちまける羽目になったあの時と同じ、艶のある笑顔。
「何なら、呼び方変えようか?」
「へ?」
「こういう時に、間違っても係長なんて呼ばないように」
「それは、つまり、」
「俺、君のこと、名前で呼びたいし。いいよね?」
「え、あ、はい」
頭の中で整理する前に返事をするのは、良くない。わかっていながら、ついついやってしまう癖が裏目に出た。
「じゃあ、行こうか。諄くん」
「ヘアッ!?」
この破壊力。
思わず、三分で星に戻りそうな正義の味方のような声を出してしまっても仕方がないだろう。
あだ名は名字由来のものが多く、あまり名前で呼ばれることがない名雪には刺激が強すぎた。
そしてこの流れから想像できるのは、一つ。
もしかして、俺もこの人のことを名前で呼ばないといけないのでは?
いや、頭が高いって言われるかもしれない。
でも、この流れで係長って呼んだら、ただじゃすまされない気がする。
名雪はただ、狼狽えるばかりであった。
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