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第31話

「……」  先輩、そう呼ぼうと唇は動いたが、音にはならなかった。  花火の音がドンドンと聞こえる、それに混じり火薬の匂いも犬族のミオは拾っていた。  園内には様々な匂いがする。人の、獣人の匂い、食べ物の匂い、パーク内の草木の匂い、土の匂い、側を流れる人口河の水の匂い、そして初めて嗅ぐサクラのバース性の匂い。 「先輩……」  甘い花のような香りはサクラの体臭とバース性、オメガが醸す誘うような華やぐ匂いが鼻腔に届く。  ミオに向け白い首筋を見せるように横を向くサクラ。挑発的な流し目がミオを射る。  勝手に体が傾きサクラへと腕が伸びる。細い首筋に触れ、ミオは覚醒したように目を見開いた。 「……っ」  首筋に触れた指を慌てて引っ込め、ぎゅっと拳を握る。そして素早く膝の上に落ちた赤い首輪を拾い、サクラの首に宛てがう。 「着けてください……!」 「…………それがお前の意思か?」 「い、今じゃない、だけです」 「……そうか」  サクラは素直に頷くと、首輪のベルトを締め直した。するとまた無臭に戻る。微かに残り香のような花の香りはするが、無意識に手が伸びてしまうような本能を支配する香りはもうない。 「そうか……今じゃないのか……」  最初は腑に落ちない顔をしていたサクラは、ミオの言葉を繰り返すとふわりと笑った。 「ははっ、難しいな」  首輪のダイヤを玩びながら呟いた言葉は、寂しそうにも、悔しそうにも、残念そうにもとれるが声音は明るい。 「……みかんのオメガって……」 「ん?未完の……あぁ、あれを真に受けていたのか?」 「え?!」 「僕が子供を作れると知れば財産目的で近付いて来る奴もいる、それを防ぐために猫目が流した噂だ、一定の効果はあるが弊害もあったな」 「……」 「そう、怒るな、発情していたら首輪は外さない」 「……それでも匂いが全然違います……」  別に怒った訳では無い。サクラに発情期があろうとなかろうと、ミオにはあまり関係がないと思っている。ただ、腑に落ちないと思ったのは香りだ。  バース性の匂いと発情期の匂いの違いは知っている。こんなに上手くバース性の匂いが消えるなんて聞いた事がなかったから、驚いているのだ。 「その為の首輪だ、詳しくは企業秘密だがバース性の匂いを無臭に近付ける成分がこれから出ているんだ、かなり珍しく高価な物で一般流通はしていないからお前が知らなくても仕方ない」 「……」 「どうした?」 「……いえ……すごいなって……」 「そうだな」  サクラはミオの言葉をそのまま肯定した。  だが、ミオの心の内は別だ。  かなり珍しく高価な物で一般流通していない首輪。それを着けられるサクラという存在。  サクラはミオを対等に思ってくれているようだが、ミオは違う。  自分とは住む世界が違うのだと思い知らされる。  また、花火が大きな音を立て夜空に上がる。大輪の華はここからでは見えないが、夜空が明るくなった。  その光に浮かび上がるサクラの横顔は美しい。隣にいるのに手に届かない高貴な存在そのもののようで、ミオは胸の中の熱い想いが急に冷め、萎んでいくのを感じた。 「ミオ」 「……」 「こちらを向け、犬塚ミオ」 「……せんぱ……」  頬を両手で挾まれ力任せに横を向かされる。じっと見つめてくるサクラと目が合ったと思ったのは一瞬だった。 「?!」  急速に近付いたサクラの顔が見えなくなる、正しくは見えているのに近過ぎて見えないのだ。  柔らかい唇が触れてきたのは自分の唇。  キスをされたと頭が理解したのは、再びサクラの顔を認識してからだった。

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