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第36話

「サクラ様どちらへ行かれるんですか?」  傍らに置いていたカーディガンを手に取り、ソファーから立ち上がったサクラは部屋を出ていこうというのか、ドアへと近付く。  ドア横で待機していたコテツは不審そうに尋ねた。 「まだ時間が掛かるのだろう?ならば空港内を散策してくる」 「……何か必要なものがあるのならこちらで揃えますが……」 「別に何か欲しい訳ではない、暇つぶしだ」 「ならば、僕も少し歩いて来ようかな」  サクラの向かいのソファーに座っていた蛇村ニシキも腰を上げる。今日はパークと違いスーツ姿だ。  コテツは二人を見比べてから質問を口にした。 「……お二人ご一緒という事ですか?」 「いや、違う」 「それで構わない」 「……お二人ご一緒ですね」 「コテツ!」  コテツがドアを開けると蛇村から先に部屋を出る。  サクラは納得いかないと言う顔でコテツを睨みつけたが、執事は涼しい顔のままだ。 「なぜ僕の意見を優先しない?」 「なぜって、警備の都合上ご一緒に移動される方がいいとサクラ様もお分かりでしょう?」 「そうだけど……」 「まだあの方と一緒にいるのは嫌なんですか?」 「別に……それはいいけど……」 「それでしたら納得してください、車を用意してきます、エントランスでお待ち下さい」  プライベートジェット専用の搭乗口は空港内の一般搭乗口とは別にある。専用のエントランス、待合室などを持ち空港内を通らなくても済むので、プライバシーや安全に配慮された搭乗場所となっている。  然程大きい訳ではないので直ぐにエントランスだ。  先に外に出ていた蛇村はサクラが出て来ると、ちらりと視線を送ったが何か言う事はなかった。  曇り空の下は強く風が吹いている。はたはたとなびく前髪をうっとおしそうに耳へかけるサクラは機嫌が悪そうだ。  ゆらゆらと揺れる赤い首輪に付いているダイヤが陽光を反射してきらめく。 「見送りには来ないのか?お前の忠犬は」 「学校だ」 「そうか」  蛇村も会話がしたい訳ではないのだろう、サクラの苛立ちを察し口を閉ざした。だが、一言だけ、と言うように右下を見下ろしながら呟く。 「何故あのタイミングでお前達が行動を起こしたのか何となく分かった気がする」 「……」 「別にこれは婚前旅行というつもりではなかったのだけどな」  サクラは留学だが、蛇村は仕事だ。ロンドンの製薬会社との共同研究の為だ。サクラは親の友人夫婦の家へホームステイが決まっているが、滞在中知り合いの少ないサクラが頼れたらとの事から蛇村側が渡英をずらし時期を同じくしたのだ。 「……でもそうなったんじゃないのか?」 「なっ、なってない!」 「あまり見せつけないでほしい、目に毒だ」 「な、何を言っている、そんな事はあの執事に言え!」 「…………」  顔を赤くして憤慨しているように見えるが、単なる照れ隠しなのは分かっている。二人が上手くいっているのかはよく分からないが、コテツは見事にサクラと蛇村との婚約解消を円満に導いた。  まだ、コテツと蛇村がどうなるのかは分からない。だけど、サクラの知らぬ所で二人はそこそこ上手くやっているのではないかと思う。 「お待たせしました」  黒塗りの車が到着し、コテツが降り後部座席のドアを開け恭しく礼をする。  どこかへ行きたい訳ではない。今更留学が嫌になった訳でもない。困らせているのは分かっているが、サクラは自らの苛立ちを鎮める術を知らない。  今は二人を見ているのすら辛いと思ってしまう。祝福したいのに上手く出来ない。  コテツの言い分は分かるし、我儘だとも思う。それでも以前だったら主人である自分の意見に賛同してくれる筈だったのに。 「……ありがとう」  コテツは静かに笑っている。異国情緒漂う褐色の肌の美丈夫はいつだって味方だった。  優しい微笑みはもう自分だけのものではないと思うと堪らなく寂しくなる。  苛立ちの大本はそれではないが、その事も少なからずサクラの心情を掻き乱していた。  二人が乗り込むと車は静かに発車した。  車内は重い空気に包まれている。  払拭できるのは一人しかいないのに。  サクラは背もたれに体重を預けると目を閉じ深く息を吐き出した。

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