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第24話

春はゆっくりと藤ヶ谷の車に歩み寄った。 一歩一歩近づくにつれて、さっきまでの穏やかな気持ちは、まるでさざ波のように足元から遠ざかっていく感覚に指先が震えた。 運転席から降りてきた藤ヶ谷は助手席側に回り、「どうぞ」と言いながらドアを開ける。 躊躇い視線を彷徨わす春に、藤ヶ谷は少し寂しそうに微笑えんだ。 「二人きりではイヤかと思って、高知に運転を頼んだのだけど断られてしまってね。 やっぱり・・・乗りたくない、かな?」 そう言う藤ヶ谷に真っ直ぐ見つめられた春は、首を横に振り助手席に乗り込んだ。 正直αと二人きりの車に乗るのはとても怖かったが、これ以上、藤ヶ谷に対して失礼な態度を取るのも申し訳ないような気がした。 「そういえば自転車は?」 「あ。自転車置き場に・・・」 「じゃ、乗せようか。そのまま帰れるし。鍵、貸して?」 藤ヶ谷は春から自転車の鍵を受け取り、一人自転車置き場に向かう。 後を追うため車を降りようとした春に 振り向き、車の中にいるように・・・とジェスチャーをするの見て、大人しく車で待つことにする。 手際良く、自転車をSUV車のトランクに積み込み 春がシートベルトをしたことを確認して、藤ヶ谷は運転席に戻った。 「あの、いろいろ、すみません」 「いえいえ、こちらこそ乗ってくれてありがとうね」 「い、いえ・・・そんな、僕は・・・」 慌てる春に優しく微笑むと、藤ヶ谷は胸ポケットから取り出した眼鏡を掛けハンドルを握った。 「じゃ、適当に走らせていいかな」 「はい・・・」 ゆっくりと車は駐車場を出て走り出す。 振り返り見た店の中では、店長が一人あたふたとクローズ作業をしているのが見えた。 多分、車に乗ったことは見られていない。 そう思い、春はホッとした。 車内にはゆったりとしたジャズが流れている。 チラリと見た藤ヶ谷の横顔が、昨日とはまた少し違う印象に思えた。 それに深い森林の中の樹木・・・シダーウッドの香りがふんわりと漂っていて、 大地に抱かれる安心感を感じられるものの 時折なぜか分からないがチクリとした引っかかりを感じる。 「・・・昨日と、違う車なんですね」 春は気になって聞く。 「そう。これはプライベートで使う車なんだよね。昨日のは社有車」 「・・・なんか、すごいですね」 車に詳しくない春にでさえ、昨日の車もコレも 高級車であろうことは理解できた。 藤ヶ谷とは住む世界が天と地とほどに違いすぎて、羨ましいとすら思えないな・・・ 春は窓の外の流れる景色を眺めながら、そう思う。 「ところで西野くん、お腹空いてる?」 「・・・あまり。なんか、いろいろつまんじゃって」 「そっか・・・じゃ、少しドライブしようか」 「はい・・・」 車の助手席から眺める街は、 いつも春が、自転車を走らせながら見ているそれとは全く違うようで不思議だ。 父親は免許証を持っていなかったから、子供のころからドライブなどしたことはないし、 そう言えばあまり遠出もした記憶がない。 「・・・あのさ、カバンの中になにか食べ物でも入っているの?」 「え・・・」 「さっきから美味しそうな匂いがするんだけど」 シダーウッドの香りしか感じていなかった春は、藤ヶ谷の言葉に驚いた。 「あぁ、残り物のチキンです・・・食べます?」 と言ってから、運転中の藤ヶ谷が食べられないことを察して 「・・・すみません」 と春は小さな声で謝った。 「それさ・・・西野くんが作ったの?」 頬杖を付き片手で運転している藤ヶ谷は 前を向いたまま微笑みながら聞いてきた。 「あぁ、確かこれは店長が作ったものです」 春は、リュックを優しく撫でる。 店長が鼻唄混じりに調理する姿を思い出し、 口元に笑みを浮かべた。 「・・・そう、なんだ」 藤ヶ谷の言葉には抑揚がなく、 その感情が全く読み取れない春はチラリと運転席のほうに目をやる。 「明日は仕事早いの?」 「はい、オープンからなので・・・」 「そっか・・・じゃ、早めに送るからね。大丈夫?」 信号待ちで、ふいにこちらを見た藤ヶ谷と視線がぶつかり、春は慌てて逸らす。 「そんなに不安そうにしないで?西野くんの嫌がることは絶対にしないから・・・さ」 そう言って笑う藤ヶ谷に、春はなにを言っていいのか分からず 目を伏せて、ただ「すみません」とだけ小さく呟いた。

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