28 / 43
第28話
結局、その後アパートまで送ってもらう車内で藤ヶ谷は一言も発せず、また春も何一つ言葉をかけることができないままだった。
それでも、その沈黙が重苦しい雰囲気に感じなかったのは、藤ヶ谷の纏う香りのおかげだったのかもしれない・・・。
次の約束はせず、「また連絡するね」と言って帰っていった藤ヶ谷を思い出すと
春はチクリと胸が痛むのを感じずにはいられなかった。
きっと・・・彼に誤解されたままなのだ。
――――――――――――――――
翌日、仕事に向かうと今日から指導する予定の清川が従業員出入り口に座り込み、退屈そうにスマホをいじっていた。
近づく春に気がつくと、パッと笑顔になり駆け寄ってくる。
「西野さん!改めまして清川蓮斗です。よろしくお願いします」
「あ、はい。西野春で・・・」
「あははっ、知ってますよぉ!」
春が名乗るのに被せ気味で言われ、面食らって清川を見た。
人懐こそうな笑顔と華奢な体。
フワフワと柔らかそうな少し茶色い髪が、色の白い肌にとても映えて見えた。
――彼は典型的な可愛らしいΩだ。
それなのに自分は・・・。
うっかりネガティブな思考に陥りそうになる気持ちをグッと堪え、暗証番号を入力して店の中へ入る。
「んー?俺にはその番号、教えてくれないんですか?」
後ろをついてくる清川の言葉を適当にあしらいながら、事務所に入った。
「清川くん、昨日ユニフォーム貰ったよね。ここで着替えるよ」
ロッカールームのドアに手をかけて振り返ると
清川はあっけらかんと答える。
「実は持ってくるの、忘れちゃいました!」
「・・・えっ⁈」
「悪いんですけど、西野さんの貸してくれませんか?」
悪びれもせずニコニコしている清川に
内心ウンザリしつつも、春は「いいよ」と頷いて、ロッカーに置いてあった予備のユニフォームを一揃え清川に手渡した。
「ロッカーは空いているところ、適当に使ってね」
「ありがとうございます!・・・これって西野さんのですか?」
「うん・・・そうだけど?」
「すっごくいい匂いがするんですねぇ、西野さんって・・・」
清川は春の貸したユニフォームに顔を埋め、しばらくクンクンとしてから着替えるために勢いよく服を脱ぎ始める。
春は恥ずかしさで顔が火照るのを感じていた。
――なんて、なんて、無神経なΩなんだろう。
同じΩとはいえ、フェロモンの匂いを
ほとんど初対面のような相手に不躾に伝えるなんて・・・。
イライラしながらもチラリと清川を見ると、可愛らしい見かけとは裏腹に、恥じらうことなくさっさと服を脱ぎ捨ててパンツ一枚になると、相変わらずユニフォームをクンクンしては「甘い匂い〜」などとほざいている。
――あ・・・チョーカー、してるんだ。
つい、清川の首元にピッタリと巻きつくチョーカーに目を奪われてしまった。
「・・・気になります?コレ。西野さんは着けないんですか?」
春の視線に気付いた上目遣いの清川に問いかけられ、春は急いで目を逸らす。
「うん・・・そうだね。着けたことないよ」
Ωの着けるチョーカーは
αとの行為の最中に項を噛まれ、望まない番にされることを避けるための物だ。
過去、αによる暴行未遂を受けたことのある春も、『チョーカーを着けたほうがいい』と当時父親に何度か言われたことがある。
でも、それを着けるということは
αとのその行為が生々しく、嫌悪感を持って想像できてしまい
春はなかなか受け入れることができなかった。
「西野さんの匂いすっごくカワイイから、絶対着けたほうが楽しいのになぁ・・・」
ポツリと言った清川の言葉に春は仰天する。
「カワイイって・・・」
「うん、すっごくカワイイですよ。もしかして西野さんって無自覚誘い系Ωなんですか?」
「な、な、なんて・・・」
真っ赤になって動揺する春を見て楽しんでいるかのような清川は
「えっと・・・ユニフォームの着方、コレで合ってます?」
と春の目の前でクルリと一回転し、ニコッと微笑んだ。
「合ってません・・・」
春はそう事務的に答え、着崩された襟元をそっと直してやった。
ともだちにシェアしよう!